世界との折り合いのつけかたについて

satsuki
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たぶん熊本の地震があった時の話なんですけど、休みで家でごろごろしていたときに揺れて、なんだろうってたしかついったーで地震情報確認して、思ってたよりもでかいし大事だそ、ということがわかってきた時点で落ち着かなくなって、普段めったにいかない実家に今から行っていい?て連絡をしてそのまま夜まで実家で過ごした、みたいなことがありました。実家、といってもうちはめちゃくちゃ近くて徒歩圏内だし、被害があったりするわけないっていうのは分かっていて、それでも顔見てちょっと安心したかった、んじゃないかなぁと思う。あとうちにはテレビがないので一応テレビの報道もちゃんと確認しておきたかった、のかな? 明確に自分が何を考えていたのかはもちろん覚えていませんが、たぶんいちばん強かったのはひとりではなんとなく不安だ、みたいな感情だったんだろうと思っています。

年末年始は実家で過ごすので、今回、石川での地震があったときも私は実家にいて、家族もいて、今の感じはちょっと大変なのでは、みたいに話しながらテレビを付け、そのままぼんやりとテレビの報道を見ながら大変そうだ、という話を、していました。もしもっと日常的な時期に起きていた地震だとしても、家にいても、実家に戻っていたと思う。なんだろう、私にはたぶん、そういう大きな何かが起きたときに、でも自分は無事で家族もちゃんと目の前にいて元気で、大変な事態は起きているけれど、それはここで、ではない、とちゃんと感じられるような時間が必要なのかもしれない。言葉を選ばず言えば自分じゃなくて良かったと思っているんだから冷たいし薄情な考え方なのかもしれないけれど、なんだかんだで自分の身体的精神的な健康を守るほうがどうしても今の自分には大事なんだろうなぁ、みたいに割り切っていかないと仕方ないのかな。なんかこう、いろんなことを考えてしまう年始でした。

でもまあ非常時のの備えはやはり必要でしょうと色々と買い揃えていこうかなぁと思っていたときにアマゾンの初売りセールがあって、備蓄食品とかも結構出ていたので買おうかなぁといろいろ見てたのですが、こと食品に関してだけ言えば我が家ここ一年ぐらい?ずっとベースブレッドと野菜ジュースが常備され続けており、なんか、一番少ないタイミングでも一週間食いつなぐぐらいはなんとかなりそうなのでもしかしてこれでよいのでは…?みたいな気付きを得て結局買いそびれた。食べ慣れてるし、一応これだけでもオッケーみたいな触れ込みの商品だし、日々食べてるから肝心なときに賞味期限切れとかもたぶんない、ので…。米食べたくなるかなぁ、常温オッケーのレトルトのおかゆぐらいはすこし置いておいてもいいのかもしれない。あとモバイルバッテリーとかはコロナ禍で出かけなくなって使わないからもういいやと思ってたんですけど容量のある少し良いものを備えておきたい気もします。