私のために歌われた歌などないと分かってはいるのだか

satsuki
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公開:2024/10/9

はじめに断っておくとこのタイトルはBUMP OF CHICKENの「才悩人応援歌」という曲の歌詞を意識してつけたものですが、この文章のなかで私はバンプの話を一切していないのでご了承ください。

旧Twitter現Xから離れたい離れたいと思いながら結局覗いてしまう日々が続いているので、そこで目にした話題についてぐるぐる考えていることが多いです。先日は、長く続いているとあるバンドの新譜の作風が大きく変わったことにより、今までのファンから結構な批判が溢れた(っぽい)ことを受けて、そのバンドのファンでもあるミュージシャン(だと思われる)が、ミュージシャンの音楽性が変わっていくことについての自分の意見とか考えみたいなものをまとめたポストをし、それがバズった(たぶん)みたいな話題を見かけました。全部憶測なので間違っていたらすみませんなんですけど、そのポストの中に「アーティストの最初のアルバムが、君が17歳の時に必要だったものであるように、3枚目のアルバムが他の誰かの17歳の時に必要なものになっているかもしれない」という言葉があって、これはとてもよい言葉だ、という気持ちで書き留めておきたかったので引用をさせていただきます。で、これ自体は本当に素敵な言葉だと思うし、実際そうだとも思うんですが、それが理屈でわかってはいても飲み込めない、ということが場合によってはあり得る、ということも正直わかる。

そんなわけはない、とわかっていても、人生の中では「これはまるで私のために生み出された作品だ」みたいな気持ちになってしまう何かに出会ってしまうことがあって、それ自体は全然良いことだと思うんだけど、その思い入れが強くなりすぎると同じ作品の作者が自分にはしっくりこなかったり、あるいは明確な反発を抱いてしまうような作品を作り出したときに「なんで?」みたいになってしまう、今まで自分に寄り添ってくれていたひとに裏切られたような気分になってしまう、みたいなことが、あるんじゃないかなぁ。向こうは当然こちらのことなんて知らないし、だからなんでも何もないんだけれど、その境界がわからなくなるぐらいはまり込んでしまうような作品に出会っちゃうことも、たぶんまあ、人生では起こり得る。めちゃくちゃ嫌いとか、許せないとか、そういうマイナスの強い感情ってなかなかゼロからは生まれにくい気がして、その前段階として「あんなに好きなだったのに」はどうしてもある気がするんですよね。私がものすごい熱量で何かを応援しているひとも、そのコミュニティも、なんなら自分がそういうすごい熱量で何かを好きになることも、怖いなぁと思って遠ざけているのはたぶんそういう理由です。


ところで、新作を批判するということと、旧作のほうが好きだと表明することは、完全にイコールではないはずなのですが、それでも、新作を差し置いて古い作品の話ばかりするのはやっぱりちょっと気が引ける。新曲を聴いていないわけじゃないしそれはそれでいいなとは思うんだけど、それはそれとして一番聴くのは結局十年前に出たアルバムです、みたいなことが、まあ活動を何十年も続けているバンドを追いかけていると全然ある。あると思う。なんかこう、一番熱心に音楽に触れていた頃とか人生にちょっとくじけて元気出せない時にひたすらリピートしてた曲って、楽曲の良し悪しとは違う部分の思い入れみたいなもので自分のなかで殿堂入りしてしまうものだと思うんだけどどうでしょうか? 私はそうなので、新作を追っていても追えていなくても結局実家に帰るように聴き返してしまうアルバムって結構決まってしまっていて、思い出補正込みのその「好き」の蓄積ってもうちょっとやそっとじゃ覆せないんだよな。それこそそれは「17歳の私に必要だったもの」だから、他の好きとはちょっと違うものになっているような気がします(この17歳の頃は比喩の話なので、別に本当に17歳の頃に聴いていた音楽ではないです)

アジカンのライブに行った時に、後藤さんがソルファがめちゃくちゃ売れたからソルファの話ばっかりされてしまうけどその後もいっぱいいい曲書いてるし出してるんだけどな、みたいなことおっしゃってたような記憶がうっすらあって、特にめっちゃ売れたタイミングのあるバンドは本当にそういう感情の落としどころがファン側としてもアーティスト側としても難しい感じがする。私にとってアジカンの特別な1 枚はソルファではないんですけど、でもソルファが特別な1枚になっているひとは多いと思うし、そういう人たちにとってはめっちゃ売れたとかそういうの関係なくでもやっぱりソルファがいちばん好きなんだよってなるだろうし、もしアーティスト側にその気持ちを否定されたら辛いよな、絶対(後藤さんは別に過去作が好きな人に対して否定的なニュアンスというわけではなかったのでそこだけは一応言い添えておきます、すみません)

アーティスト側にとっての傑作と、リスナーひとりひとりにとっての大事な作品はイコールになるとは限らない。細々と二次創作で文章書いてた身ですら、個人的にめっちゃ好きなの書けたみたいなやつと比較的感想もらえる話はイコールではなかったし、それは私と読んでくれていた人たち、私と作品の作り手、が別の人間である以上は当たり前のことと捉えるしかないのでしょう。今めちゃくちゃ好きなバンドの新作がいつか私には刺さらなくなるのかもしれなくて、それはまあ仕方ないんだけど、たとえいつか彼らが私にとって好きな作品を作る人たちではなくなったとしても、かつて彼らが作る音楽が私に必要だった時間まで否定する必要はないのだ、ということは心に留めて生きていきたい、みたいなことを考えていました。その感情はたぶん、もし作り手側が「正直あれは駄作だった」みたいなこと言いだしたとしても翻す必要はないだろうと、すくなくとも私はそんな風に思っています。過去作を駄作だと切り捨てちゃうようなアーティスト、できたら好きになりたくないけどね。