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忘れるために書くということ

satsuki
·
公開:2026/10/6

ジャーナリングとか、モーニングページとか呼ばれている習慣があります。思ったことをとにかくノートにそのまま全部書く、みたいな……これはノート術というよりは思考の整理術なのかな? たぶんジャーナリングがある程度時間を決めてその時間内に頭に浮かんだことを全部書く、みたいなやつで、モーニングページは朝起きてすぐにノート3ページ分とにかく思いついたことを書いていくみたいなやつだと思う。私はこの手の記述が本当に苦手で、何度かやってみようかなと思ったことはあるんだけど都度失敗している。たぶんなのですが、私にとっての文章って基本的には「どこかに提出するためのもの」なので、出力の手前で人が読むために体裁を整えることをかなり無意識に考えてしまっているふしがあり、思ったことをそのまま書くってどうすればいいのか本当にわからない。やり方を解説しているサイトなどを見てると最初はみんなそんなものですみたいに書かれてはいるんですけど、続けるうちにできるようになると言われてもできないことって続かないんだよな。ということで私はこういうノート術を実践できたことはないです。

ところでこのジャーナリングとモーニングノート、似たような習慣かと思っていたら目的が結構明確に違いそうで、というのもジャーナリングは時間いっぱいいろいろ書いたあとにそれを読み返して整理する、というターンが発生するのにたいしてモーニングノートは「書いたものは原則読み返さない」のが大前提らしい。最低2カ月は読み返さない、書くだけ書いてそのまま朝のルーティンに移行する、が最大のポイントっぽい。え、書いたものを……読み返さない……???

なんとなく、どちらも、大事なのは「一度言葉として出力する」という過程において自分の思考を整理することなのかなぁと言う気がするのですが、そうやって言葉にしていく段階で思考はある程度整理されていて、だから「結果として書かれたもの」には実はそんなに意味がない、というのがモーニングノートの考え方なのかな、という気がします。読み返さないのに書いとくことに意味あるのか?と思ってたけど、そういえばTwitter(現X)とかでも、とっさで愚痴りたいこととかあったら打ち込んだあと投稿せずに一旦下書きに保存するとそれだけでちょっと気がすむみたいな話があった気がする。ふと思い出して下書き振り返ったころにはそういう咄嗟のいらいらっておおむね忘れてるんだけど、投稿してしまうと自分のTLに残るから何度も目に入ってなかなか気持ちが落ち着かない(あと場合によっては炎上しますしね、昨今特にね……)みたいなライフハックだった……ような……。

結構前にここにも書いたんですけど、私はインターネットに極力ネガティブな文章を残さないように心がけてはいて、それは、私は当然のように自分の書いたものを読み返してしまうのでそのたびにネガティブな気持ちを思い出してぐったりするのが嫌だからみたいな自分のための理由です。書き残してしまったことって忘れられなくなると思っている。

でもよく考えると、普段の日記はどちらかというと「いつか忘れてもいいように」と思いながら書いている。どんなに楽しかった思い出でも、書かなきゃ絶対、すくなくとも細かいところは忘れるけれど、書き残しておけばあとで読み返すたびに思い出すことはできるよね、という気持ちで、忘れたくない(主に楽しいこと)を書き残している。写真にもそういうところはありますが、スマホが当たり前になるまで私の生活の中には写真を撮るという習慣がなかったので、書くことのほうが身近だし気安くはあったので、今も忘れたくないことはなるべく文章にしとこうってなるのかもしれない。本当は、ネガティブな感情でも覚えておかなくてはいけないことはあると思うのですが、そもそも根が暗いので嫌なことのほうが何度も思い出して凹んだり反省したりしてしまいがちで、書かなくてもなかなか忘れられないみたいな部分もあるからあえて書き残したくはないんだよな……。

仕事のメモとかも基本的に「私は忘れるから」と思って書いてる。でもこれに関しては「メモにさえ残しておけばそれは忘れてOKなこと」という意識もあるのかもしれない。後々確認お願いしますみたいなことをとりあえずメールでばーっと送っておけばしばらくそれについては思考のリソース割かなくてもよくなるので、実際後々確認してくれた上司などから「あの話だけど」と話を振られるとだいたい「どの話?」となります(メール見返して思い出す) だったら書くということは、ある意味では「安心して忘れる」ための行為でもあるのかもしれません。

なんでこんな話をしているのかといえば、ちょっと前に人の日記を覗いていたとき(人聞きが悪いな、あおぞらブログのフィードです)落ち込んでいたときの対処法として「思ってることや考えていることを全部ノートに書き出す、書いたあとは見返さない」ということを書かれている人がいて、それが私にとっては結構目から鱗だったのでした。書くとすっきりする、ということのほうが大切で、書かれたものにはもう価値はない。そういう考え方が自分のなかにあんまりなかったので、そういうストレスの発散法はうまく自分も取り入れて実践していくといいのかもしれない。もやもやすることの多い日々だし、私は冬にかけて元気になくなる人間なので、こう、うまくメンタルのバランスをとっていく方法を探るのは大切かもなぁ、みたいな……これに関してはまあ、私はその「思ってることをそのまま全部書き出す」ができないんだよという話に戻っていくんだけど……こういうのも訓練は必要だよな多分……。

ちょっと話はずれるんだけど、この「書かれたものに実はあんまり意味はない」みたいな考え方って何らかの作品に触れた時の感想とかにもあんがい共通するとことなのかもなぁみたいなことも思っていました。きちんとした場に出す批評や論評であれば別だけど、それこそ個人がブログやSNSに感想を書き残そうとするとき、書かれた感想の内容そのものには実はあんまり意味がなくて、感想をまとめるためにその作品について考えてる時間のほうが大事なのかもしれない。私はなにかの感想を書くときに「なんか言いたいことと違う……思ったことはこうだけどこうじゃない気がする……」みたいな感情と一生戦ってるからなおさらそう思うのかもだけど、本当はなんか、私たちは何らかの作品に触れるとき、その「なんか違う、うまく言葉にできなかった部分」というか、感想として文章にまとめていくうちにこぼれ落ちていくもの、の方をより強く受け取ってるのかもしれない、みたいなことをぼんやり考えたりもしていました。だから感想って自分で考えて書くことに意味があるんだろうな。どんなに共感できる気がしても、人の感想を引っ張ってきて引用してきて「私もこう思う!」ですましちゃだめなのかもしれない。それだと、うまく言葉にならなかったこと、の部分を一生取りこぼし続けてしまうのかもしれません。それはなんか嫌すぎる。やっぱり何らかの作品に触れた時、自分なりの感想を書き残しておくことは重要なのかも。

……そもそもあんまり本を読めてない、ということもあり読書録が4月から止まってるんだけど……再開……したいですね……。