いいひとぶりたい

satsuki
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しずかなインターネットに登録した最初の頃は、なんとなく週一ぐらいでその週あった気になることとかおもしろいことについて書いていけば、まあ書くことも見つかるでしょう、みたいな気持ちでいました。ただ結局それは続かなくて途中でぱたっと書くのをやめている。せっかく登録しているんだし特に週一とか考えずに思いついた時に思いついたものを適当に書きとめていくようにしようかな、と思って再開してからは逆に結構な頻度でなにかしらを投稿していて、結局中途半端に定期的にとか考えるより「とりあえず毎日なにか書く」みたいなことのほうが習慣にはなりやすいのかもしれないなぁということも思っています。

最近は、ここにはだいたい常時2〜3個の下書きが中途半端に残っていて、この話今ならある程度言語化できそうみたいなやつを一気にまとめてみたり、着地点を探しながら書いては消してみたり、ふと別のことを書きたくなって全然関係ない記事をさらに立ち上げたり、というふうにあちこち行きつ戻りつしながら書き進めています。そういう作業をしているのは通勤中か仕事の休み時間が多い。ちなみに今日は関係ない記事を立ち上げた日ですね。

こことは別の場所で日記を書いているひとが、この日記は自己分析の場も兼ねてるみたいな事を書いていて、すごくわかるなーと思ったので、そういう話をしたくなりました。私もたぶんいつも書きながら、その書いているテーマに関して自分が何を思ったのかとか、考えたのかということを考え直している感じがします。それに加えて私はこれをインターネットに公開するものとして書いているので、やはりすくなからず襟を正し、体裁を整えながら文章を作っているつもりです。結果としてひとりで頭の中だけで考えているよりかなりマイルドでポジティブな思考になっている、ような気がする。頭の中だけでぐるぐる考えていると、ずっと同じところを行ったり来たりして、結果どんどんマイナス思考になったりだんだん意地の悪い考え方になってきたり、みたいなことに陥りがちだと思うのですがどうでしょうか? そんなことない人はそんなことないのかな……。

くどうれいんさんという方が、最近出された日記本にまつわるインタビューの中で「日記用の人格」みたいな表現をしていて、ちょっと前にそのインタビュー記事を読んだ私は、ネットで公開する日記を書く時の感覚としてこんなにしっくりくる表現があるんだ!てちょっと感動してしまったのですが(くどうれいんさんの著作は読んだことがないんですけど、時折立ち寄る本屋の売り場でいつ見ても激推しされていて気になり続けている、たぶん文芸担当の方が本当に好きなんだろうなと思う、そのうち買ってみようかなと思ってたので読んでみるなら今がいい機会なのかもしれません)私はインターネットでしか日記のようなものを書き続けられたことはないので、日記用の人格というよりはインターネットの上での人格かもしれない。でもここに投稿する文章を作っている私は、旧Twitter現Xのなかの私やブルースカイでつぶやく私ともやっぱりちょっと雰囲気が違う気がするので、日記用の人格というのがやっぱり一番しっくりくるのかな。

ここに日記のようなものを書いている私は、現実の生身の私よりたぶんちょっとやさしくて、穏やかに、視野を広く持とうと努めていて、つまりは良き人間であろうとしている気がします。いつ頃からかはわからないけれど、私はSNSも含めたインターネット上の振る舞いとして、悲観的になりすぎないとか、愚痴をできるだけ言わないとか、マイナスの感情を文字として可能な限り残さないということを意識し続けている、いちおうね。生身の私はぜんぜんもっと気分屋で、眠かったり空腹だとすぐ不機嫌になるし、嫌いな人の前ではあんまり態度をつくろえない。人付き合いもしゃべるのも下手だし、気遣いもあんまりできないし、まあまあろくな大人ではないでしょう。生身の私を知ってる人がここの文章読んだらいいひとぶってるなーって思うんじゃないかな。

でも私はたぶん、インターネットのなかでぐらいはいいひとぶりたいのです。

本当は現実でもいいひとではありたい。でも、現実の私はお腹も空くし体調も崩すしそもそも人間があんまりできてないから難しい。ただ、そういう人間でも、インターネットでいいひとっぽく振る舞うのは、すくなくとも現実でよりはハードルが低いような気がする。ネット上だけでもそうやっていいひとっぽく振る舞っていれば、そのうち現実にも似たようなことが自然にできるようになる……かもしれないですし。

ここまで書いて、これはたぶんくどうれいんさんのおっしゃっていた日記用の人格というものともまたちょっと違うな、ということに気づきはじめています。どちらかというと「理想の自分を思い描いてそこに近づけるよう努力する」行為のほうかもしれない。私は良い人になりたいんだろうなぁ。良い人、というのも漠然としたイメージでしかないんだけど。


ちなみに愚痴をこぼすということに関しては別に全然悪いと思ってなくて、なんなら私はそれを気にしすぎてTwitterで何も呟けなくなった結果ものすごい気持ちが傾いたみたいなこともあったわけなので、吐き出して気が済むなら吐き出しといた方が良いしそれが身近な人に言いにくいことならSNSでも何でも投げておけばいいと思う。

ただ、あまりにもそればかりしている人がどんどん世界の全てを呪うみたいに本当に愚痴しか言わなくなっていくみたいな過程をみてしまうと怖いし、喋るとあとで落ち込みがちだし書き残してもそれを見返したとき結局私は落ち込んでしまうから、向き不向きと程度の問題なんでしょうね、こういうことは。