すこし前からフィードやTLでものすごく村上春樹の話題を見るようになりまして。触れられ方はいろいろで、そのひとつひとつについてはそれぞれ個人の意見だから誰かが文句をつけられるものでもつけるべきものでもないとは思うのだけれど、ただ(読み通せなかった、挫折した、というものも含めて)村上春樹の作品に触れている人がこれだけいるというのはやっぱりすごいことなんだろうなぁみたいなことをしみじみ考えていました。私はまったく熱心な読者じゃないし、むしろ読んだものに関してもぜんぜん内容覚えてなくて恥ずかしいぐらいなんだけど、なんだかんだとある時点までの代表作を読んではいる。個人的には『スプートニクの恋人』が一番印象的だったんじゃないかな?という記憶があります。これもまあ今となってはまったくあらすじを覚えていないのですが、たしか終盤近くに夜の観覧車のゴンドラの中から遠ざかる自分の背中を見つめるようなシーンの描写があって、たぶんそこがすごく印象に残っていたし好きだった。でもこれが本当にスプートニクなのかはもはやあんまり自信がないです。なぜなら一度も読み返していないから。
うちにある村上春樹の本は『1973年のピンボール』1冊きりで、結構こまめに本を売る方だった(そうしないとすぐに溢れるので……本を置けるスペースはいつだって限られている)のになぜかこれだけずーっと手放さずに残しています。自分でもよくわかんないんですよね。なんでこれ持ってるんだっけなって思って定期的に読み返して、まあ置いとこうかなって手放す本の候補から外す、ということを結構何度も繰り返していて、たぶん一般的な尺度から考えるとスプートニクよりよっぽどこの本のほうが好きということになりそうなんだけど、でもすごい好きって気持ちを抱いたこともたぶんあんまりないんですよ。めちゃくちゃいいなーって思った記憶もない。でも手放せない。不思議な本。
村上春樹がおもしろいか否かについてはだから私にはよくわからないのです。本屋で働いていた頃には「これって本当におもしろいの?」みたいに聞かれることが一度ならずあり、私は卑怯な店員だったので「やっぱり人気はありますよねー」なんて答えで逃げていた。ただまあこれは村上春樹に関してだけでなく、自分にとって面白い本がその見ず知らずのお客さんにとっておもしろいか、あるいは逆についてもですが、それはまったく保証のできないことなので、こういうことって聞かれても明言を避けていたような記憶がうっすらあります。今でも私が面白かったから、でひとに何かを勧めるのは苦手かもしれない。よっぽど趣味が合うことが分かってたり相手の好みを知ってたら話も変わるんですけど、めちゃくちゃ好きだ!と思って張り切って勧めた作品が相手にしっくり来なかったときお互い気まずいかなみたいな不安がある。
また話がそれていますね。ええと、いわゆる純文学的な小説は、自分の気持ちにぴったり来るとか、ぜんぜんわかんないけどなんかすごいおもしろい、みたいなものと、本当にどこをおもしろがればいいのかよくわからない、というものとに、自分の中では結構はっきり分かれてしまうところがあるんですが(エンタメ系の小説は、私にとっておもしろいと思えるものではないが好きな人にとってはこの辺りがおもしろいんであろう、ということがわりとわかりやすい気がします。おもしろさが舞台とか登場人物とか展開とかに託されていることが多いので。純文学にもそういう部分のおもしろさがないわけではないけど、なんとなく、その作品を楽しめるかに関しては、それ以上に文体とか作品そのもののムードとか波長みたいなものの割合が大きい気がする)村上春樹の作品は基本わからない寄りです。
すくなくとも、拒否反応が出るほど嫌いだなあと思ったことはないし、わりとするする読める寄りの文章ではあると思う。若いうちに読まなければ楽しめない、という意見もちらほら見たのですが、それも今はちょっと違うかなぁと思っていて、それこそ1970年代とかの空気を多少なりとも感じられる時代に若者だったひとにとってはその当時に読むことに意味がある作品だったんじゃないかなと思うけれど、今の若者にとっての1970年ってたぶんもう近代文学とかとさほど変わらないぐらい自分とは縁遠い時代という感覚になっちゃうんじゃないかな、という気がする。もちろんいわゆる名作文学には時代を超える普遍性もあるとは思うんだけど、さすがにそういう普遍性を得られる程には遠くなってもいないし、みたいな中途半端さが逆に「今読むとしっくりこない」という感覚に繋がってしまうのでは、みたいなことを、『1973年のピンボール』の冒頭をちょっとだけ読み返しながら考えたりしていました。こないだ江國香織の昔の小説読んだ時も思ったんだけど、今の感覚で飲み込むのはもうかなり難しい社会常識を前提に書かれているのに、そういう時代もあったんだで納得して割り切るには過去として近すぎる、みたいなところに受け入れがたさが生まれているような感じはあるんですよね。これは本当になんとなく、の話なんですけど。