昔の日記あれこれ

satsuki
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公開:2026/2/24

古い小説エディタを漁っていたら昔倉庫サイトに付けていた日記のログが出てきて、こんなところに残してたんだ!という驚きと自分のなかに記憶が残ってなさすぎる時期の記録というのでちょっと面白さもあって、夜中に読みふけってしまった。日常だったり当時のジャンルの話はともかく、映画とか小説の感想とかは今後も読み返してもおもろいかなぁと思ったのですこしだけこちらにも転載しておきます。という記事ですこれは。


四月、五月はほとんど外出もできなかったので、アマゾンプライムで延々と見たことなかったアニメを見たり、見そびれていた映画を見たり、あとは本を読んだりしていたはずなのですが、六月に入ってからはさっぱり何もしていない感じで、私はいったい何をしてたんだろうな……おそらくミリオンのライブ配信を見ていたのかな……。

ミリシタのゲームはほとんど追えていないのですが、推しは高山紗代子ちゃんです。おさげに眼鏡のザ・委員長みたいな女の子がふわふわきらきらの衣装でアイドルとして舞台に上がるのすごく好きで……あとこう、ものの考え方がめいっぱい脳筋な感じなのもかわいい。ミリのプリンセスはえむのフィジカル。

でもライブをずっと見てたらジュリアがどんどんかわいく見えてきて、ゲームでも気になる子ではあったんですけど、なんか結構とがった感じの子なのかなぁと思っていたのに舞台の上ですっごいきらきら笑顔でかわいくて、でもあおりかたはロック寄りで、それでもあれだけショートパンツ衣装の子も多いミリのなかでスカート衣装、ていうバランスがなんかすごくいいなと思ったのでした。あと愛美さん見れば見るほどめちゃくちゃかわいくて、というか本当に楽しそうにギターを弾きながら歌うのがたまらなくよかった。プラリネすごく好きな曲です。もし今後ミリの現場に行ける機会があるとすれば、いちばん生で歌を聴いてみたいの、すくなくとも今はジュリアさんかもしれない。しばらくは状況が状況ですし、現場はどうしてもゲームを真剣に追ってる人が行くべき場所という気がしてしまうのでなかなか難しそうですが。

最近はリアルイベントの延期や中止を埋め合わせるようにライブや舞台の期間限定配信がすごく増えて、五月のなかばからはそちらを追うのにいっぱいいっぱいでした。なにもかもを無料で配信してしまうのも、それに慣れちゃうとこわいなーという気持ちがあって悩ましい部分なのでしょうが、有料配信の番組もちらほら増えてきましたし、「無料なら見てみようかな」ぐらいにハードルが低くなるのはコンテンツの入り口としてはいいのかもしれないとも思います。

たしか四月以降は毎週末にサカナクションのライブ映像配信があって、もともとすごく好きなバンドなのでそれは毎週追いかけていたのですが「今の諸々が終わってライブが普通に開催されるようになったら絶対サカナクションのライブに行かなきゃ……」みたいな気持ちが強くなって大変でした。どれもこれも本当にすごくよかった。ライブ会場の空気ってバンドによって全然変わると思うけれど、素敵なライブには映像になっても伝わる多幸感が溢れてるような気がする。演者も観客も誰一人の例外もなく楽しそう、というか。そういう場所に、はやくまた行きたいなぁと思います。毎年楽しみにしているバンドのライブが一応今年も予定はされていたのですが、年内はきっともうどうしようもないので。

アイマス全般からはもう離れちゃってミリも今また追うことはないと思うんですけど、サカナクションのライブにはまだ行けていないのでこれは行かなきゃなぁと思った。今年の目標にしようかな。

アイドルマスター15周年おめでとうございます。私はだいたいえむますきっかけでアイマスに触れた人間なので、15周年の重みをそこまで感じていなかったのですが、週末の配信をちょこちょこ見たり、関係者さんのツイッターを見たりしながら、改めてすごいコンテンツだなぁみたいなことを思っていました。

近作のキャラクターを演じている声優さんのほとんどが、学生時代にアイマスを知って、大好きで、だから関われて嬉しい、みたいなコメントを出してるのがなんか、やっぱりすごいなと思うんですよね、ゲームであれ現実の舞台であれ、そこに立ってきらきら輝く姿を見て、憧れて同じ場所を目指すのなら、それはやっぱりただしくひとつのアイドルの姿なんだろうな、と思う。二次元か三次元かというのは、ほとんど意味のない区分けのように感じてしまう。

アイドルってなんなんだろうなと、最近たまに考えます。

四連休は、さぼりがちだったそしゃげをいろいろとやっていて、具体的にはメギドとシャニマスなのですが……シャニマス、シナリオがめちゃいいのは分かっていて私も大好きなんですけど、読んだあとに考えてしまうことが多すぎて、心がつかれているときとかには避けてしまいがちで、ノクチル気になってるのにノクチルのイベント全然読めてなかったり、G.R.A.D.のシナリオが全然読めてなかったりしたので、そういうのをちょっとずつ読み進めていました。ノクチルのイベストすごいよくて、でもアイドルとしてのノクチルはこの先いったいどうなるんだろうな、というのは、正直今までのユニットで一番わからなくて、しばらく考え込んでしまった。

高校生の、無敵で奔放なきらめきが好きで、たぶんノクチルが持っているのはそういう類のきらめきなのですが、それはそのままではアイドルという「仕事」の場にはそぐわないものなんだろうな、と思います。中高生のアイドル達をどんなにきらめいていると思っても、そこにあるのはある程度商業的に加工されたきらめきで、ほとんどのアイドルはただの女の子である前にアイドルらしさを求められてしまっている。なによりもファンのために、と思いながら一生懸命頑張るアイドルの姿が私は好きですが、そうやって「ファンのために」を突き詰めることで本人が磨耗するところはたぶんあまり見たくないし、なにより「~のために」という部分は本来誰かに強要されるべきじゃないはずなのに、ファンは時々アイドルに「私たちをなにより優先しろ」と傲慢に突きつけている、ような気がして心苦しい。

だからかな? ノクチルのイベントのラストの方で、数十人の客席の前で、しかもそのほとんどが自分達を見ていないステージで、自分達が誰よりもめいっぱい楽しみながら、それを見ていない自分達以外の世界すべてを「もったいないね」と笑って見せた雛菜があまりにも格好よかった。あのシーンすごく好きでした。雛菜、好きな気がするな、と思っていたけれどやっぱりとても好きです。小糸ちゃんの生真面目さも、樋口の屈折もとても好き。応援したいとか、ファンになりたいとか、そういうのとはたぶんすこし違う気持ちなのですが、彼らの今後を見届けたくなるシナリオでした。

(ちなみに浅倉のことは正直よくわからないのですけれど、なんかこのまま浅倉本人については何もわからないまま、他三人の目に映る浅倉だけを見つめていたい気もします)

これもアイマスの話をしている。アイドルとはみたいなことはいまだに考えてるんだけど(アイドル、というよりアイドルを追いかける、とはみたいなことかもしれない)一生答えなんて出ないんだろうな。最近は、きらめきや元気をくれる人たちのきらめきや元気の部分に励まされながらその後ろのその人そのものを知りたくなってしまう心理なのかなと思っているし、だから推しができるってものすごく単純にシンプルに人を好きになるってことなのかもなぁという気がしています。ただただ元気をもらいたいだけならたぶん追う必要も推す必要もないんだろうな。

たぶん、高校時代というすごく限られた時間がすきなんだと思います。自分が高校生の頃がめちゃめちゃ楽しかったかと聞かれると、たぶん世間に誇れるような輝かしい青春を過ごしていたわけではないので首をかしげる部分もあって、でも思い返してあれ楽しかったなあみたいな思い出はやっぱり高校の頃が多い気がする。小中と普通に地元の公立に通っていたので、いちおう高校がはじめて自分で決めた進路ではあったし、中学生よりもすこしだけ不自由がなくなって、いろんなことをはじめて経験したのもその頃なんじゃないかな……それこそ私はともだち同士での外食とかすら、たぶん高校に入るまでろくにしたことなかったような気がするので。学校帰りの買い食いとかもね。本当にどうでもいいようなことかもしれないんですけど、そういうのが楽しかったのが高校生って時代なのかな、と思います。

……と言いながら二次創作ではすぐに彼らの未来と称して高校生を成人させて酒を飲ませてしまうのも不思議な話です……。

それが高校生を高校生のまま書かない理由というわけではないのですが、自分が懐かしく思い返している高校時代のいろんなことも、もうリアルではないんだろうなとも思っています。この間「色づく世界の明日から」というアニメを見ていたときに、美術部と写真部が「作品作りにパソコンを使うから」という理由で写真美術部とまとめられていて、メインキャラの男の子がその部活の活動としてタブレットで絵を描いている、という設定に本当にびっくりして、あれは現代日本のようで現代日本ではないファンタジー風味のお話なのでまたすこし事情も違うのかもしれませんが、確かにこれだけCGが普及してたら学校の美術の授業でもPCとか使ってもおかしくないのかな? とか……いやどうなんでしょうね…気になってしまう……。似たような時期に「月がきれい」というアニメも見たんですけど、中学生の交流が完全にライン主体でこれもそっかそうだよな……てなってしまったりもした。ちなみにどちらのアニメもすごく面白かったです。

きっと今さら学生に戻ることもできないし、その辺りの年代にともだちもいないので、どんどん想像とノスタルジーの入り交じるなんちゃって高校生しか書けなくなるんでしょうけど、それでもなんとなくいつまでも私は、高校生という年代にきらきらとした幻想を抱き続けてしまうような気がしています。それはそれでちょっとこわい。

これは読んでてそうだ!見てた!と思い出してました。色づく世界の明日から、すごくよかった。でも月がきれいの方はまったく覚えてなくて、見たっけと思いながら検索したら思い出せた。見たわそう言えば。これは感想を残してたから色づく〜のほうをよく覚えていたのかそもそも感想を書き残そうとまでは思わないぐらい当時から月がきれいの印象が薄かったのか悩ましいところです。なんか、エンディング演出めっちゃいいなーみたいなことは思った気がするんだけどな……。

「僕らのごはんは明日で待ってる」と「劇場」を見ていました。どちらも恋愛映画だけれどテイストは全然違って、映画の善し悪しはあまり判別できないので好みでしか考えないのですが、好みとしては「僕らの~」かな? こっちは爽やかで気持ちの良い恋愛映画だったな、という感じです。

めちゃくちゃ好きなシーンがあって、手づかみでフライドチキンを食べてる最中に彼女に抱きつかれた主人公が、最初べたべただからどうしよう、みたいに宙に手を泳がせてて、でも最終的にそのべたべたの手で彼女のことを抱きしめ返すんですけど、そのためらいからの行動、みたいな流れがすごい良くて……ちょっとためらう生真面目さとか誠実さと、それでも抱きしめたい、て感情に最終的に従う感じ。愛とは何かと問われたときに、油まみれでべたべたの手でも相手を抱きしめたいと思う感情、と答えてもそれはひとつの正解なんじゃないかな、と思いました。主人公、一旦その彼女とは別れて別の女の子と付き合うんですけど、その子にもなんか同じようなシチェーションで抱きつかれて、でもその女の子のことは抱きしめ返そうとはしないんですよね……そんなの愛じゃないですか……。

「劇場」のほうはツイッターでもすこし呟いたのですが、主人公の永田の行動がなにひとつ受け付けられなくて見ていてちょっと苦痛な部分がありました。ものづくりをしているひとには端々刺さる部分もあると思うんですけど、だめな人には徹底的に合わない類の映画です、たぶん。私はだめですすみません……松岡茉優はめちゃくちゃよかった。めちゃくちゃ良かったからかわいそうで見ていられなかった。いやだって……沙希ほんとうにあんなやつのどこがよかったんだろう、と思ってしまいます。

あと私には沙希の最後の台詞が受け入れられなくて、あの言葉のせいでこれからも一生永田は変わることなんてできないんじゃないかな、とも思ってしまう。そういう意味ではあの言葉は呪いであり沙希の復讐でもあるのかもしれない、けれど。

こっちはまったく記憶になくて本当に見たか?????と思っている。どっちもたぶん原作を知ってるから観た映画だと思うんだけど……劇場に至っては原作の内容すら思い出せなくて映画のwikiみてもぴんとこなかったので合わなすぎて記憶から抹消したまであり得る。おそらくこの頃から既に映画鑑賞向いてなさすぎる。

劇場版の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見てきました。

ヴァイオレットエヴァーガーデン、元々テレビシリーズの放映中はリアルタイムでは追っていなくて、たぶん放送終わってからちょっと経ったぐらいの頃に、きっかけは覚えていないんですけどなんかのタイミングで友人宅で一挙したんですよね、別にそのためにお邪魔したわけじゃなかったと思うんですけど、あれなんでだったのかな? その子がたまたま録画を残していて、すごくいいよと聞いたのでじゃあ、という感じで見せてもらったのかなという気がします。すごくよかった。前回の劇場版も見に行っててそれもすごく良かったので、今回もとても楽しみだったんですよね。すごく良かった……。

ストーリーは完全にテレビシリーズの続編で、だからテレビシリーズ見てないけど気になる、みたいな人には私はたぶん勧めないし(とりあえずテレビシリーズ見て、とは言います、言いました)、たぶんメンタル削られる人には削られる内容で、私もいまのタイミングでは何度もリピートしたい、とはどうしても言えないのですが、でもそれでもとても良かった。冒頭五分で既に泣いてしまってたし泣きすぎて頭痛くなったし呼吸もしんどくなってしまった……ただでさえマスクがあれなので……そう、マスクがびしょびしょになるという評判を聞いていたのですが、私マスクあの不織布の使い捨てのやつ使ってて、上が顔に密着してなくて、だからぼろっとこぼれた涙は次々マスクに吸われるって感じではなく上の隙間からどんどんマスクのなかに入ってしまって、なんかいろんな意味でめちゃくちゃでしたね、大変だった……でも良かった。

テレビシリーズは、手紙だから伝えられることがある、人に託さないと届けられない想いがあるみたいなエピソードも多かったと思うんですけど、ラストの方で電気と電話の普及でこの先手紙は廃れていくね、ということが示唆されていて、そこからの続編だったので劇場版ではむしろ「手紙では伝えきれないものがある」という方がメインテーマだった気もします。冒頭でなくなった祖母が大切にしていた手紙を孫が読んでたらその手紙が風にさらわれて宙を舞っていくみたいな演出があって、クライマックスでも手紙は宙を舞うんですけど、それとかすごい象徴的な感じがしました。それまでは手紙は大切に胸に押し抱かれるものだった(と思う)のだけれど、伝えきれなかった想いを届けることができたあとなら、それはもう手放してもいいものになる、というか。それがなんか……すごく良かったなって……もちろんそれでも手紙なんかいらないってなるわけじゃなくて、それでもやっぱり人は手紙を書くし、手紙を書くことで素直に伝えられる感情もあるし、手紙を書くことを通して自分の気持ちを整理したり見つめ直したりすることもできるんだよなみたいな部分もあるわけですが。なんかこう……うまく言えない。伝わらないけどよかったんですよ……。

あとけっこう序盤に「傷の舐めあいの何が悪いの?」みたいな台詞が出てきてそれがすごくかっこよかったです。結局そういう関係性は構築されないわけだけれど。弱さを抱えたまま支え合う関係をあんなに堂々と肯定できるのは強さだなと、そんなことを思っていました。

私この頃ってもっとなんにもしてない虚無期間だと思ってたんですけど意外といろんな作品に触れていて、読んでいったらわかるんだけど虚無期間はもうちょっとあとで、この頃はとにかくお出かけできなくて時間も余ってて、あとまだYouTubeをほとんど見ていないからこういう映像作品に触れる余力がちゃんとあったんだなぁと思う。配信ばっかり見てるのやっぱりよくないよね、いや楽しければいいとも思うんだけどね。ヴァイオレットエヴァーガーデンも余力ある時にもう一度見たい作品ではあります。

いろんなものをなるべくたくさんみたいなと思っているのに、なかなかままならないです。本当は旅行にも行きたい。九月は誕生月ですし、近場ならまあいいんじゃないだろうかと色々探していたのですが、途中でどうせ行くなら紅葉の季節がいいな……となってしまったので一旦保留にしています。11月頃ってどんな感じなんだろうな……でもイベント欠席しておいて旅行には行く、というのも不義理なのかもしれません。何をするにしろしないにしろ、どこかで本当にそれでいいのかな、て引っ掛かりを残してしまう気がする。

ただ、この間すこしだけ『聖の青春』を読み返していて、あれは難病で夭折した棋士のドキュメンタリーなんですけど、彼がしたり顔で来年を待てという大人たちに「生きていられるかもわからない一年後を平気で待てと言うなんて」みたいなことを日記に書き残してる、というようなエピソードがあるんですよね。

私は生まれてこのかた幸いずっと健康で、だからこその油断もあって、いろんなことに対して「そのうちやろう」とゆるい気持ちでいることが多かったのですが、行きたかった観光地がこの間閉園してしまったことを知り、本当に「そのうち」が必ず来るとは限らないんだよなぁ、みたいなことを痛感してしてしまっていました。お店も旅館もテーマパークも、いつのまにかなくなってしまう。どんなに元気な人でも例えば事故やなんかであっけなく亡くなってしまうことはある。だったら一年後の私が生きてる保証もないですし。だからなにも我慢しなくていい、好き勝手に生きていい、とまでは思わないんですけど、いざ死んでしまうってなったときにすこしでも後悔しないようにはしたいな、みたいなことをちょっとだけ、考えてしまっていたのでした。

申し込んでいたイベントの参加辞退を表明したあとの日記。すごくコロナ禍の影響を感じる。このときなくなってしまった、と言っているのはたぶん湯河原のなんかの温泉施設だったと思うんですけど、このあと星の王子さまミュージアムも閉園してしまい結局行けなかったりとか、あとたぶんこのころって父の癌が発覚した時期なのでそのへんも含めていろいろ思うところがあったんだろうな(ちなみに手術で完治していて今のところ転移も再発もないです、元気) 全然関係ないけど昨日見てた古い配信でゆる追いの人が「永遠にあると思っていたとしまえんがなくなってしまった」みたいな話をしていて、わかるーとしまえんは永遠に存在してほしかった……てなっていました。としまえんの閉園自体もこの頃ですねたぶん。

YouTubeの帝劇channelで野田秀樹の『赤鬼』が11月いっぱいまで無料配信されているということで、見ていました。二回ぐらい見たんですけどめちゃくちゃ良くて期間中にもう一度ぐらい見たいなぁ……と思っています。

私は演劇に明るくないので野田秀樹は一応知っているし赤鬼もたぶんタイトルは聞いたことあるなーぐらいの知識で、でもせっかくだからとあらすじも特に調べずに軽い気持ちで初見を見てしまったのでなんかただただ圧倒されたというか…なんか、すごかった……。

友達に見てくれっていってあらすじ教えてって言われたんですけどなんか、あらすじ難しいんですよね。言葉の通じない異邦人を鬼と呼んで迫害する集落で、そこに馴染めない余所者の女が異邦人との心を通わせていく話、とか、あらすじを語ろうとするとそんな感じになるのかなと思うのですがたぶんこのあらすじはなんの説明にもなっていないですね。

で、そういう筋のなかで「言葉がちっともわからなかったときのほうがあなたとわかりあえていた気がする。あなたの話す言葉の意味が断片でもわかるようになってきて、今あなたの考えていることがどんどんわからなくなっている。いつか、あなたの話す言葉が完璧に理解できるようになったとき、もうあなたのことはなにもわからなくなるのかもしれない」というような台詞が中盤に出てくるんですけど、私はそこがすごく好きでした。言語によるコミュニケーションの限界みたいなものを感じるときに私の心はざわつきます。話し合えば分かり合えるなんて幻想でしかなくて、なまじそれさえあれば伝わると思い込んでいる共通言語があるからこそ永遠に理解し合えないということのほうが世の中には多いのかもしれない、と時々思ってしまう。実際女が作中で叫ぶ言葉はことごとく、同じ言語を使っているはずの集落の人間たちには伝わらないわけですし。そこが恐ろしくてすごくよかった……。

二年前かな? の秋頃にも『贋作・桜の森の満開の下』の公演があって、これは大阪にも来てたので絶対見たくてチケット申し込んでたんです。絶対見たかったのは好きな俳優さんが主演されてたのと、あともともと原案の坂口安吾が私は好きで……小説の夜長姫と耳男のラストがもうほんとめちゃめちゃ好きなんですけど、でもその小説の存在を知ったのがそもそもこの舞台のファンの方が知人にいたからだったりもしたせいで舞台のほうが原点みたいなねじれた印象をずっと持ってて、だからまあいつか見たかったのです。が、そのときはなんと公演始まる直前ぐらいに入院するはめになりまして……。泣く泣く抽選申込キャンセルして大阪公演の期間中ずっと病院のベッドの上にいた……あのころたぶん人生で一番自分の間抜けさを呪っていましたね……。

その後松竹のシネマ歌舞伎で歌舞伎版をみる機会には恵まれて、歌舞伎版ももうめちゃくちゃよかったのですが(歌舞伎の女形のかたって男とか女とか超越したなにかを演じるとき本当に鬼気迫るものがあるなぁ、と思った……舞台版と比べられないのでなんとも言えないのですが歌舞伎版の夜長姫は最後どこまでもひとではないなにかで本当にすごかったのです、声のトーンががらりと変わるとこ鳥肌たったな……)いつか舞台版も見たいなぁ……てずっと思ってて、今回まあ演目は違うのですが野田秀樹作演出の舞台を配信とはいえちゃんと見て今改めて二年前の自分を呪っています。いや全然五体満足でもチケット取れてなかったかもしれないんですけどね……でも最初から勝負の舞台にもあがれなかったのやっぱりめちゃくちゃ悔しかったな……。

体は資本、大事にします……ちなみに入院は病気とかではなく不注意による骨折だったのでとにかくちゃんと前を見て歩くようこころがけます……。

野田秀樹の贋作桜の森を見に行けなかったことは今後も一生後悔すると思う。見たかったなぁ……。

9日にアンジュルムの船木結さんの卒コンライビュ、10日にはJuice=Juiceの宮本佳林さんの卒コンライビュを見てきました。

はろおたの友達がいて、その子がライビュいつもとってくれるのですが、今回チケットとったよーと報告もらった二日か三日後ぐらいに外出自粛の要請が出てしまい、行っていいのかなでもな……と悩みながらのライビュ参戦になってしまった。もうめちゃくちゃよかったので行ったことに後悔はありませんが今振り返ってもちょっと複雑ですね。

ハロのライブ、現場に行ったことはないんですけどライビュのある卒コンはちょくちょく見に行っていて、一時期アンジュルムが卒業ラッシュだったのでなんかアンジュルムの卒コンばっかり見てる……みたいな状態だったんですけど、私あやちょの卒コンめちゃめちゃ好きで……卒業されるときもめちゃ悲しかったんですけど、その卒コンのときにあれめちゃめちゃかわいいこがいるってはじめて意識したんですよね。小さいからだでパワフルに踊るのと、顔立ちや言動の元気いっぱいみたいなかわいさと、なのにふとした瞬間の目元とか表情とかの色っぽさのギャップにやられてしまった。推しというほど推していたわけではないと思うのですが、でもそのライビュ見たときふなちゃんはまだまだ若いしあと五年は推せるよみたいな話をしていたのに、そこから一年経たないうちに卒業発表で、たしかちょっと呆然としていました。ふなきさん推しのともだちが卒業決まったときに「まだ好きになってる途中だしこれからどんどん好きになるはずだったのに」みたいにおっしゃってたんだけど本当にそんな気持ちだった。その後すごくいろいろあって長らく卒業延期になってたのど、このままずっといてくれないかな、とかも思ってたんですけど、卒コンのふなきさんみてるとよかったのかな、とも思う。ふなきさんもかりんさんも、絶対ライブで卒業したかった、ここでこうやってみんなに見送ってもらえることが本当に嬉しい、ということをおっしゃってたので……。

そんなわけでふなきさんの卒業本当に寂しかったし、よくライブみてて馴染みがあったのもアンジュルムだし、もちろんどっちのライブもよかったのですが、ライブのあとの幸福感という意味でかりんさんの卒コンすごかったです。とてもよいものをみた……と思う。なんだろうな、あの空間をどう表したらいいかわからないんですけど、本当にすごく幸せでよかった。特にアンコールの雰囲気。楽しそうで幸せそうでたまらなかったです。

メンバー代表してともこさんがかりんさんにメッセージ送ってるとき、たぶんさゆきさん本当に泣きそうになってるのを必死にこらえてるみたいな表情が少しカメラに抜かれてたんです。でも一通りMC終わって曲始まったときに、ちょっと気合いいれるみたいに表情整えてすっと歌い出したのがほんとよかった。泣き崩れて歌えないのが駄目というわけではなくてそういうシーンにもまあいつもこちらも涙腺は刺激されてしまうんですけと、なんか、こう……よかったんですよね。

かりんさんは卒業後もソロでの活動決まっていたし、あまりお別れ、という雰囲気でもなく、だからこそのピースフルな感じだったのかもしれない。ライブの翌日に同行者が「かりんちゃんは私たちの前から消えたんじゃなくてメンバーの前から消えたんだね」みたいなラインを送ってきて、そっか卒業ってそういうことなのかもしれないなぁとも思いました。すぱっと引退してファンの前からも消えてしまう人だっているし、逆にグループを卒業したからといってメンバー間の縁が同時にすぱっと切れるはずもないのですが、レッスンなり現場に行けば毎日のように会うのが当たり前だった相手がそこにいなくなる、というのは確かに学校とかの卒業とも、似ているのかもしれないな、ということを、考えたりもしたのでした。

創作にいかしてね!とも言われたんですけど今は推しユニを解散させたりメンバー卒業させたりする予定はないのでいつかこの感情をどこかで活かせる日が来るのかは謎ですね。とにかく楽しい二日間でした。寝不足ちょっとやばかったけど。

ハロプロ卒コンオタクが始まった頃。むしろこの頃なんだってびっくりした。もうちょっと前からかなと思っていました。いや実際もうちょっと前からではあるんだけど……。


この辺までがおおむね2020年の日記ですね、2021年のも少し残っているのですが、途中から在宅勤務がはじまって明確に精神的に沈んでいっていて、その一方でめちゃくちゃ本は読んでいて、こっちはこっちで面白かったけどあんまり人に見せる文章ではなくなっていくのかなぁという気もする。でも今より全体的にトーンが落ち着いている気がして、年取ってやかましくなるってどうなんだろう……てちょっとへこんでしまった。

ログが残っているのは2021年の8月ぐらいまでで、そのへんから日記を書く気力もないぐらいに落ち込んでいって、まあまあどん底ぐらいのタイミングで今の推しのいる界隈を知ったのかなぁという感じがします。たぶん。この辺の記憶って本当に自分のなかに残っていなかったので、改めてこういうかたちで発掘してみると思いのほか心底落ち込んでいたみたいな期間は短かったんだなということに気づけてちょっと良かった。なんか、たぶん根が楽観的なところが出ていますね。