インターネットで知り合ったともだちは基本的にみんなばらばらの場所に住んでいて、あえて言うなら関東圏の人が多いんだろうと思う、ぐらいなので、むしゃくしゃするからちょっと週末飲もう!ぐらいの気軽さで会える人はなかなかいません。いや例外的にいるにはいるんですが。結局身近にいてもそういう人の誘い方はあんまりできないタイプなんですけど私は…。
イベントとかに参加していた頃はイベントに行けば誰かに会える!みたいなのもあったのですが、コロナがあり、諸々があり、もうあまり積極的に同人活動とかもしなくなり、そういう感じで会える機会もだいぶなくなってしまった。そんな今日このごろだったことを考えれば、この夏(9月はずっとすごく暑かったので夏とします)は、なんだかいろんな人が関西に来てくれて、たくさん会って話ができたな、という季節でした。ちょっとボーナスステージみたいだったな。暑かったけど。今年の夏めちゃくちゃ暑かったのに私にしては活動的だったのはそんなこんなで元気だったからなのかもしれません、といまさら思っています。
ただ、インターネットで知り合ったともだちってたぶん私がまがりなりにもなにかしら書く側の人間であったからこそ知り合ったり話す機会が生まれたひとばかりなので、もはやほとんど何も生み出さないおたくとなりさがった現状でも「そっち行くから会えたら会おうよ!」みたいなノリで誘ってくれる人がいるのは不思議でありがたいことだなぁってたまに思ってしまう。別に楽しい話をできるタイプではなく、どちらかというと自分から話題を振るよりはひとの話を聞いていたい方です。だからなおさら自分から誘うハードル高いのもあるけれど。私がなんかお話しましょうよ!て誰かに言いたいときってたぶん「楽しい時間を過ごしたいので私に楽しいお話を提供してください」であって、基本的にこちらから提供できるものが何もない。付き合いの長いひととはもはやおおむねジャンルも分かれ、特に私が今おたく的に追いかけてるものの話はマジで誰にも通じない自信があって、おまけに誰かに話を聞いてほしい気持ちはあるような気がしてもあんまり自分のなかでも整理ついていない感情だから結局うまく説明できん、みたいなところもあるし…。
イベントとかライブのアフター、観劇のマチソワ間、みたいなタイミングでお茶したり飲んだりするのはそれはそれで楽しかったのですが、そういうメインイベントゼロで人と会って話してるときのほうが、人と会ったということに対する満足感は高い気がする。当たり前といえば当たり前のことではあるんだけど、ただ話すために人と会うたびにしみじみ思う。ライブとかイベントのアフターもめちゃ楽しかったけどそういうのは良くも悪くもライブなりイベントなりが話題の中心にあるから、好きな(これは人間的に好ましい、一緒にいて楽しい、的な意味合いです)相手と一緒のときほどもうちょっと話してたかったなーというか話聞きたかったなーみたいな物足りなさが生まれていたような気もするのです。ライブの後とかぜんぜん時間ないもんな、ライブの話しかできなかった。ライブのアフターだからたぶんそれが正しいんだけど。
人と会ってお話するのは楽しい反面緊張もします。私はどんなに付き合いの長い相手とでも会う約束をすると当日までちょっと緊張しているし、なんなら実家に帰るときですら若干緊張している。おしゃべりが得意ではない、という自覚がある。のでもちろん通話も緊張する。楽しいし結果としては元気になれることが多いし絶対そういう時間は作ったほうがいいと思いつつ、ひとりで過ごしてる時間のほうが圧倒的に気楽だとも思う。
でも本当にひとりでじっとしているとさみしいしちょっとつまらない、というときに、ぼんやり眺めていたのが旧ツイッターだったしブルースカイなのかもしれない、みたいなことをぼんやり考えていました。私がインターネットにふんわりと近況を報告してしまうことと、そんなふうにふんわりと誰にともなく放たれた呟きを眺めているのが好きなことの理由の根っこは同じ感情なんだろうなと思う。
誰かの話を聞きたい。聞いていたい。それは究極、自分に向けられた言葉でなくてもぜんぜん構わない。なんなら自分に向けられた言葉ではないほうが気楽ということもある。「あなたに話したい」という前提で語られる言葉は種類や程度の差こそあれ重さを備えたものなので、自分の側に余裕がないと受け止められないこともあるので。誰にともなく向けられた言葉であれば、いまはちょっと余裕ないなというときに見ないふりもできますし。だから逆に「誰かに話を聞いてほしい」みたいなときも別に具体的な誰かに直接話しかけたいわけではなくて、もし今心に余裕のある人がいたらよかったらちょっと聞いてほしい、ぐらいの気持ちでインターネットに放流してるんじゃないかな私は。この話はさすがにあなたに話したい!もたまにあるにはあるんだけど。
元気じゃないと人には会えない、とか、どうあがいても緊張する、ていうのもそのへんが理由なのかもしれませんね。重たい荷物はあんまり持てないし、なんなら誰かに持たせたくもない。とはいえもしも大事な人がものすごく悩んでいるような時があれば、さすがにそれは相談とかしてほしいよって言いたいので、それぐらいの心の余裕はなるべく常に持っていたいかなぁとは思います。そこの余裕を持っておきたいのでぜんぜん知らない人の荷物はあんまり持ちたくはないんだよな。最近の旧ツイッターというかXは重たい荷物を持っている人が多すぎて疲れてしまうのかもしれない。あそこにいる人の多くはいつでもちょっと不機嫌な感じがするし、私もあそこにいるときはたぶんちょっと不機嫌になっている。最近は、またしばらく離れたほうがいいかなぁと思っています。半年ぐらいアプリ消すかな。悩ましい。