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月報をTwitterだと思ってる

satsuki
·
公開:2026/8/25

ブルースカイでしずかなインターネットのフィードを眺めていると、月末月初が近づくたびに「月報」というタイトルの記事がぽつぽつ上がりはじめます。だいたいはその月に起きたこと、見た作品や読んた本についてのまとめ、あとこれはこの文化が発祥したのがおそらくTRPG界隈だからなのかなというところなんですけど、卓報告をまとめてる人が多い印象がある。

ぜんぜん知らない人の1ヶ月の振り返りが楽しいのかと問われれば結構楽しいし、なんなら毎月それを見てると「ぜんぜん知らない人」でもなくなってくるという側面もある。日記もそうだし、というか言ってしまえばSNSもそうなんだけど、毎日見てると知らない人でも一方的に「ちょっと知っている人」という感じになってきて、いいことがあった感じだとよかったなぁと思うし大変そうだと心配になったりする。不思議なものです。でも、毎日毎時間怒涛のように流れていくSNSのタイムラインを通してだと、知らないはずなのに知っている人の言葉や考えに影響されすぎてしまう部分もあるのかなぁと思うので、日報、週報……いや、やっぱり月報ぐらいの頻度が知らない人との距離としてはちょうどいいのかもしれません。月報、好きです。いやまあ日記も好きなんだけど……(そうじゃないとこんなにブローガストタグには入り浸らない)

最初はしずいんにあげている人の月報しか確認するすべがなかったのですが、どこかのタイミングでそもそも月報をまとめたフィードがあるよ!というのを知り、最近はそちらで確認することが多いです。noteやクロスフォリオやファンボックス、あるいは個人サイトなど、しずいん以外の媒体で月報をあげている人もかなりいるので、このフィードを知ってからは月末月初がかなり楽しくなりました。

そして毎月読んでると当然「私もやりたい!」となる。ということで、なんとなく私も真似してやるようになったのですが、私の月報はたぶん正確にはあんまり月報ではなくて、だから記事のタイトルも月報にはしていないです。目次にしている。月報フィードに拾われたくなくて。なんならしずいんの投稿自体しずいんのフィードに拾われたくなくてURLを削っている。インターネット引きこもりここに極まれり。よくそれでブローガストタグとか使っていますね……。

そもそもは、その月に何があったかを簡単に思い出せるように箇条書きにしたひとこと日記を1ヶ月分まとめた感じを目標にしていたのですが、最近は目次というには長すぎる文章になってる日のほうが多い。雰囲気として、くどうれいんの『日記の練習』の練習パートのイメージはあるかもしれないんですけど、1日に何度も書いていることもあるので日付も入れないし、別にこれをもとに日記の本番を書くこともない。ただ、普通にしずいんの記事を書いた日はその記事へのリンクを貼ったりもしているし、ひとこととりあえず残してたけどいやもっとちゃんと書きたいな、で新しい記事を立てることもまあなくはない。ところで8月はかなりしずいんをがんばったので目次はかなりコンパクトな気がしています。それなりにまとまった文章を書こうとすると人は無口にならざるを得ないのかもしれない。いやでもブルスカはうるさめだったかもしれない……。

その月の目次の記事は月初に立てています。月初めに非公開で立てた記事をトップ記事に固定して、何かあったらとりあえずそこに書き込む、ということを1ヶ月続けて、時々読み返しては整理して、最近は最後にその月に作った俳句を載せたりして公開している。これに関してはなんか、人に見せるつもりで作らないと上達しないかなと思って……でもこれに関しても8月は全然です。文章を書こうとすると本当にそれ以外のすべてがおろそかになる。こんな中身のない日記もどきの散文ですら……。楽しくはあるんだけどだからやっぱり8月限定だよな、こんなに書くのは……。

ちなみに、何かあったら、の基準は主に「(旧)ツイッターに書き込みたくなったら」です。もともとツイ廃だった自覚があるので、日常のなかで何かが起きるととりあえず呟きたくなるという習性を備えてしまっているのですが、最近は旧ツイッターもといXにはなるべく書き込みたくない、という気持ちが強く、さりとてブルースカイは鍵垢にできないのであんまり個人的すぎることやリアルタイムの出来事を書くことには抵抗がある(あるのです、いちおう) でもおもしろかったり印象的だったことってなんとなく残しておきたいので、そういうことを主にメモ代わりに残しておく場として、最近はこの月報を利用しているのかもしれません。おかげでブルースカイへの投稿頻度は減った……かと問われると難しいな……あんまり変わってない気もする。なんか、これは月報にしとこうとかこれはブルスカでいいやみたいな基準はたぶん多少はあるんだけど、自分でもあんまり決めきれてはいないというか、両方に書いてたりブルスカに勢いで上げたあとに消して月報に書き直したりしていたりもするので、あんまり深く考えてはいないのかもしれません。

そもそもXと距離をおきたいとなってからはずっと「思ったことをそのままその場の勢いで表に出す、ということはあんまり良くはないんじゃないか」という気持ちがあるので、そういう感情の仮置きの場としての月報(下書き)は個人的にすごくちょうどいいなー、と思っているのですが、じゃあ全部しずいんに残しておいて普段のSNSへのつぶやきはゼロでもいいんじゃない? と思っていてもなんとなく「これは今つぶやいときたいな」みたいな気持ちも存在して、なんなんだろうな。

とるにたらないことなんだけど、別に返事もいらないんだけど、それでも今だれか聞いて!という気持ちがあるのかな。これ自分でもよく分からない、不思議。でも、そのままその場の勢いで誰かに聞いてもらいたい!みたいな気持ちはやっぱり日常の端々に存在するし、そういう人の衝動みたいな呟きを眺めているのも好きで、だから私はSNSという場所から離れられないんだろうなみたいな気がしている。知ってる人でも知らない人でも、誰かの他愛ない呟きを眺めていたい、という気持ちがある。もちろんいろいろ功罪はあると思うけど、結局私はSNSが好きで、かつ日常の一部になりすぎているんだろうなぁ……だからこそ、インターネットとの適切な距離の取り方、というものを永遠に測りかねているのかもしれません。

インターネット、何年やっても難しい。月報の話をするはずだったのになんでこんな結論なんだろう。まあそんな日もあります。