故あって毎年柿をいただく生活がはじまって5年ほど経ちました。いただくといっても箱でどっさりとかではなく、たいていひとつふたつをお裾分けしてもらうという感じ。ひとり暮らしをはじめてから、果物を買うということはけっこう気合のいる行為なので、毎年欠かさず食べているのはこのいただきものの柿ぐらいかもしれません。ケーキとかタルトとかパフェとかに入ってるやつはカウントしないで、単純な生の果物の話。
買うのに気合がいるというのは、単純に値段の問題と、食べるために必要な労力の問題です。果物高いよね。私が好きな果物は桃と梨なんですけど、どちらも食べられる状態まで持っていくのにものすごく気合が必要。水分たっぷりの果物は剥いていると手がべたべたになるし、それに加えて桃は果肉そのものがやわやわなので自分で剥いているとどうしても「こんなに素敵な食べ物を私が今どんどん台無しにしている」みたいな罪悪感が生まれてくる。見た目がどんなことになってもおいしいのはおいしいんだけれど、せっかくちょうどよく食べごろになるように冷蔵庫とかで冷やしているのに皮を剥くのに手間取りすぎてぬるくなっちゃったりもするし。桃に関しては季節になるといろんなところで素敵なスイーツが出てきて、そちらで楽しむほうがお手軽だし楽しさもあるし結果的にお安くつくのでは、という気持ちで基本的にはそのまま食べるということ自体がもうあまりない気がします。
梨は桃に比べるとしっかりしているので剥くのは楽なはずなのですが、それでもやっぱり気合いは必要。スーパーとかでは2玉セットで売ってることが多いので、ひとつは食べたい!という勢いのまま買ったその日になんとかできるんですけど、その後しばらく「あれそろそろ食べなきゃ」みたいな気持ちを心の片隅に抱えたままの日々が続くのがどうにも苦手で買わなくなってしまいました。好きな食べ物のはずなのに家にあると嬉しさよりもどうしようってなってしまう。食べたい気分と、そのために必要な労力を払える気力のタイミングみたいなものがなかなか一致しない。そして、梨に関してはまあほっとんどスイーツとかにならない! 相性悪いのか扱いが難しいのかは分からないんですが、洋梨だとまだ見ることはあっても和梨を使ったデザートってあまり見ないんですよね。実際切ったそのままを食べるのが一番おいしいだろうなとも思うしね。最近はまったく食べずに季節が終わってしまうことも多く、年々、そもそも自分が本当に梨好きだったのかの自信までなくなってくる始末。でもたまに食べると本当においしいのでやっぱり好きなんだとは思います。
余談ですがこの間ともだちとご飯食べに行ったとき、二軒目に、なんかちょっとおしゃれなフルーツカクテルとか出してくれるバーみたいなところでこの話(梨好きだけど食べなくなったしスイーツとかでもぜんぜん見ない)をしていたら、おもむろにバーテンさんが「どうぞ」ってカットされた梨をすこしお出ししてくれて、なんでかわかんないけどナイスタイミングで嬉しいな、と思いながらお礼言って食べた(おいしかった)みたいなことがありました。あれ、冷静に考えたら梨食べたいのに食べられないみたいな話をしていたから梨をお出ししてくれた可能性がぜんぜんある。バーってなんかそういうおしゃれなことをさらっとしてくれるところですよね。真相はわかりませんがそうだったら私が嬉しい気持ちが増すのでそういうことだったんだろうと思い込んでおきます。良いお店だったな……。
柿の話に戻ります。そんなこんなで近年は毎年のように柿を食べているんですけど、昔はどちらかというと積極的に嫌いな食べ物でした。ちなみに親は好き。うちの父は、自分にとっておいしい食べ物はこどもにとってもおいしいはずだという思い込みでやたらと自分の好きな食べ物をこどもにも食べるよう強要してくるタイプの人で、今まるでそれが悪いことのような書き方をしましたが基本的にはいいひとなんだろうな、と特に自分がおとなになってからは思っています。でもこどもの頃はどんなに嫌いとか苦手とか言って断ってもでもおいしいからってしつこく薦めてくることに心底困っていた。柿もそういう、父がめちゃくちゃ薦めてくる食べ物のひとつで、だから、単純にあんまり得意でないというよりは、はっきりと食卓に上らないでほしかった(どうしてもめんどうくさいことになるから)
以前雑談のタイミングでそういう話になったことがあるのですが、柿ってかなり年齢によって好きか嫌いかがはっきり分かれる食べ物で、それがちょっと面白い。たぶん私の親世代はたいてい好きで、おおむね同年代ぐらいのひとたちは意見が分かれるところなんですけど、下の世代の子達は逆にほぼ100%ぐらいの割合で嫌いか、そこまでいかなくても好きじゃないとか好んでは食べないみたいな位置になってくる。
そんな話を親にした時は、昔は果物とかも今ほど甘くなくてもっと酸味の強いものが多かったから、柿ぐらいあまいだけの食べ物って珍しかったしね、みたいに言っていて、わかるようなわからないような……と思ったのを覚えています。なんせ私が柿を苦手だった理由は、果肉のあのちょっとぬるっとした感じがなんだか気持ち悪かったことに加え、その、酸味とか香りとかがなくただあまいだけみたいな味に単調さを感じていたからなので。
ちなみに食べるようになったのは、生ハムと合わせるととてもおいしいおつまみになるよ、と聞いて試したら本当においしかったからです。お酒を飲むようになって変化した好き嫌いは本当に多いんだけど、こう考えると柿もそのひとつだな。冷静に考えると、ちょっと果肉がぬるっととろっとしていて、酸味とか香りとかはあまりなく、ただただあまいという特徴は、いちじくとかものすごくよく熟れた桃とかにも共通してくる特徴で(いや、桃は香りもとてもよいんですが)私は先述したとおり桃も、あといちじくもすごく好きなので、じゃあ柿だけ嫌いなのもおかしな話だったのかもしれない。こどものころの好き嫌いって、食べ物そのものの味とか香り以上にそこにまつわる思い出に左右されている気がします。
いただきものの柿は今朝剥いて食べました。朝ごはんなので、生ハムと合わせたりブラックペッパーを引いたりはせずそのままで、もちろんお酒も添えたりはしない。おつまみではない、果物として食べる柿も今はちゃんとおいしいと感じるので、昔の父にはちょっとだけ謝りたいです。