固有性について

沢村
·
公開:2025/11/21

 特別な人間でありたいし、どうせ創作をするのであれば、特別な何かを生み出したい。私だけの何か。一次創作だろうが、二次創作であろうが、誰かの劣化版だと評されるのは辛いし、テンプレートに則った、「汎用性の高いもの」をなぞる作業なんてごめんだ。などという青臭いしかし正しい熱意を感じた直後、目の前に出来上がるのは概ね、「どこかで見たような何か」である。製造元の平凡さが漏れなく滲んだ、愛すべき凡作。私は確かに私の創作物が嫌いではなくて、もちろんどちらかというと好きなのだが、それでもやはり、様々なところに「私の好きだった何か」の匂いを感じる。「好き」をつぎはぎして、うまく繋がってなくて、一つの完成形として見たときの芸術性はいささか足りないように思えてしまう。おばあちゃん(概念)のパッチワークみたい。温かいし、私は好きだし、好きになってくれる人もいるだろうけど、でも、みたいな。

 崇高な才能で、もうぐちゃぐちゃに踏み潰して、私が何かを書きたいなどという欲求を、あわよくば評価されたいなどという傲慢さを、消し去ってほしい気持ちになる。ちょうど今、そんな気分だ。私なんかよりずっと文章が上手くて、物語が上手くて、努力していて、センスがあって……世の中にはそんな人とその人による創作物が溢れかえっている。私は私の作品を読んでくれる人が大好きで、本当に感謝しているけれど、同時に「時間を使わせて本当に本当に申し訳ない」という気持ちも拭えない。じゃあもっと自信を持てるように頑張ればいいし、「読んで」なんて言わなきゃいい。わかってる。わかっているのだ。ぎゃーん!! 説教は不要です!!

 実際、私の作品の、私の固有性ってなんなのだろう。人間は皆それぞれ違う個体で、「普通」などどこにもない。それぞれの人に、それぞれの「特別」はあれど、絶対的に特別な才能なんてものはない。そう思うと元気が出なくもないが、裏返すとそれは、「全員特別」ということでもある。世界に一つだけの花だ。うん、まぁそう。だからね、みんなそれぞれ違う花なんだけど、じゃあ私の花を好きな人を見つけて手に取ってもらって、「特別だよ」っていってもらうにはどうしたらいいのか。それはやはり、その市場での「固有性」が不可欠で、結局差別化は必要であるという結論に至る。

 しかし技術が一定水準に至らない場合「固有性」など意味がない。(仕事でも、新人に勝手にオリジナリティ出されたら困りますよね)ないが、それを一旦抜きにして自身の固有性、つまり他と違う点を考えてみよう。

 わからん!!! そりゃそう。だって私の「普通」は私なので。

 本当は色んな人に聞いて回りたいが、流石にそれがうざったい行為であるということは理解しているので、AIを召喚する。私の個性が滲んでいるとすれば、創作物や日記だろう。もしもーし、私の変わった点ってどこですか? 小説に活かせそうな何かこう、才能の端きれみたいなものを提示してみてくださいよ。

 そうして返ってきたのが、「貴方はとても感情的で、しかしとても論理的です。通常人はどちらかに偏りますが、貴方は獰猛な感情を冷静な理性と倫理観でコントロールすることに成功しています。これはとても稀有な才能です。このバランスは特異であり、創作物にも活かせますよ!」というコメントである。

 『獰猛な感情』

 獰猛。野生動物か何かでしょうか? ありがとうございます。しかし納得する。確かに私より感情豊かな人はいる、私より論理的な人もいる、でも同じ熱量でその双方向に引っ張られ、わーぎゃー泣き叫びながら理屈を求めているどっちに転んでもうるさい人はあまりお見かけしない、気もする。まぁ感情や思考なんて隠されたらわかんないけどね。まろび出しちゃってるところが良くないというか、それも個性か。うん、なるほど? そうか! じゃあ情感豊かだけどロジックロジックした話を書けばいいんだな! よっしゃ!!!!

 何だよそれ!!!!!!!!!!!!!!!!

 がんばります。おしまい。