公道とショッピングモールまとめ

sayuk
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公開:2024/11/9

Twitterとかのツイートまとめ(順番も時系列も不同)

ソルニット『ウォークス』

公道/路上がテーマパークやショッピングモール化すると、刑事や行政訴訟で扱われていたものが民事になる、そしてそれはすでに(路飲みとかに限らず)仮想の路上でも起きている(クレカと表現規制など)、というのがソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の論点のひとつだった

ショッピングモールやテーマパークの擬似的な街路は、しかし商店街の道路と違い私有地なので路上生活者やデモ行進を排除できてしまう(そして実際に歩道の民営化みたいな話も起きつつある)という指摘は興味深く、またIT企業やクレカ会社が実質的に表現規制もできてしまうという話とも繋げられるのかも

テーマパークの疑似的な都市や街路みたいに、現実と区別されたフィクションというモールでも、表現の自由/規制という私有地で、差別・人権・格差といった本来国家や社会に属する問題が民事上の争点かのようにさせられてしまうのでは、と昨日も思ってたけどさすがに穴あきだらけの議論なので考えたい

本や映画と違って、飲食店でもショッピングモールでも流れているポピュラー音楽を「もう聞かない」ことも「聞かなくていい」ことも無理で、それは「政治や社会問題とは距離を置く」ことが無理なのと相似している

ショッピングモール

巨大ショッピングモールの近くに住めば、雨の日や真夏でも歩数計アプリの値を稼ぐことができるんじゃないか。レイクタウンかららぽーと東京BAYあたりかな…。

今はショッピングモールのイベントステージをアイドルが販促でめぐったり、ローカルアイドルがあったりするけど、いつか未来に都市間の往き来が分断されて、モールを中心にした街が孤立して点在するようになると、ショッピングモールアイドルが生まれるのかもしれないなー、と考えてた

きょう核戦争がはじまって各都市の各イオンモールが分断されたら、きょうそのイオンモールでリリイベを行っていたアイドルはその場所にずっと留まって毎週末リリイベを行い、その都市のご当地アイドルに意図せずしてなってしまうのだろう

ショッピングモールにブックオフとハードオフが入ってるのみると、文明が衰退したあともブックオフとハードオフだけは残り、解読できない本や何にどう使うか分からないものを売り続けるのだろうなと思う

新海じゃなくてもみんなそれぞれ自分の東京の地図を描いたっていいんだ、たとえそれがタワレコとショッピングモールのイベントスペースだけだったとしても…。

新宿と広場

新宿駅西口地下広場を地下「通路」と呼び換えた前科がある以上、あらゆる広場や公園や駐車場や空きスペースを一時的に「路上」とする条例を通しかねないところはある

『PUBLIC HACK』読んでいるのですが、歌舞伎町のど真ん中の広場で路上ライブしたり代々木公園でファンと全力でただ遊んだりするアイドルのファンにもおすすめの本ですね…。

バンクシーの「it’s always easier to get forgiveness than permission(いつだって許可してもらうよりも後で許してもらう方が簡単だ)」って言葉が文中で引用されてて、これ完全に #怒られたら消す じゃんと思った

10連休はいいけどその時期路上ライブできなさそうだし、これからオリンピックまでどんどん路上ライブできにくくなっていくんだろうな

「やみくもに節約をするだけではなく、選挙に行って自分の意見が反映されるようにするなどの工夫も必要」なるほどそしたら米蔵を打ち壊したり、新宿地下広場に行ってフォークソングを歌ったりする工夫も必要かもしれないな…

路飲みとか

ツイッター終わって、アイドルも活動休止した時の路飲みの場所を決めとこう、アキバのコンコースなら広いしいけるんじゃないか

路飲みするなまで行くと、社員一人ひとりが社長としての気概を持って〜みたいな感じになってきて、えっじゃあ社長この一年何してたんですかってなりますね…。

「渋谷に路飲みの文化はない」、「成人式は戦後からの風習だから」にもやもやしてたの思い出した

朝から考えてたけど「渋谷の路飲みを禁止するのにDJポリスを名乗るのは文化的簒奪では」というのを言いたかったのか

渋谷が年々ほんとうに嫌で、ライブハウス行くにしても何も買わず立ち止まらず直行直帰するだけなのだけど、やっていることの理念としては路飲みと全く同じなのだと思う

「まともな大人はちゃんとした店に入って落ち着いて酒を嗜むものだ」と言われると、ソバーキュリアスは路飲みの対偶となってしまうので当然に連帯せざるを得ない、という話なのかも

行政と組んだ広告代理店がインバウンド向けにプレミアムなトーキョー路飲みツアーみたいなのを企画して、センター街や歌舞伎町をガイド付きで安全に飲みながら歩ける(ハロウィン期間は高値)というのが次に用意されていると思う。たまたま出会った日本の若者(もちろんアトラクション的に各所に配置されている)と話が弾んだり…。

アルコール全く摂取しないこちらが、大声で騒ぐ集団や駅の吐瀉物に顔を顰めつつも「飲酒じたい禁止すれば?」とぎりぎり口にしないのは、路飲みを含めたマージナルで猥雑な場からこそ自発的に生まれる「文化」をこちらも間接的に享受してきたからで、街の全部がゼネコンとコンサルと行政と保守文化人に吸われ管理されるのであれば口にしない理由もなくなる、ことに逡巡するからこそ路飲みの側に立ってしまう、あたりまで言語化(あまり好きな言葉ではない)したけどやっぱ『ノスタルギガンテス』を読んでくれ、という話になる

渋谷ハロウィンへの行政の対応を疑問視する言葉に大量のゴミのようなリプが生まれるのも、都市や資本主義の歪みにおぼえる異和をそれぞれが封じようとして、それでも溢れてしまったものが漂流しある特異点に打ち上げられてしまった、という意味で『ノスタルギガンテス』で描かれているシーンと全く一致している

クレカとか

最近生活のほとんどをキャッシュレスになるよう押し進めた結果、キャッシュレスにできないのがアイドルの物販とライブハウスのドリンク代くらいになってしまったので(あと同人誌もか)、地下アイドルは消費行動管理に抗する最後の砦なのかもしれない

完全キャッシュレス世界になると、生涯収支と電子マネー残高が一致しない違法な「現金」を所持した人が、地下即売会や地下アイドルイベントで同人誌やチェキを購う(その記録はビッグデータには残らない)みたいになるのだろうな

電話やアプリを使わずに流しのタクシーを拾うの、地下現場で現金で特典券をあがないその日に使用するのと思想としては同じなのか

文化ではないもの

こないだ話してたのは、サッカーはスタジアムの試合だけがサッカーなのか?馴染みのスポーツバーで画面に悪態を付き、まして何の関係もない知人の噂や悪口を言うのはサッカーではないのか(あるいはライブ後の特典会はライブなのか)、そして「3密」が致命的なのもバーや特典会の方だ、という話だった

握手会の話ばかりするのは無くなってほしくないとかではなくて、さまざまな変容や移行は覚悟するとして、ただいつか「文化/スポーツイベントは元通りにできるようになった」と口にされるときに、その「元通り」という語が変容を忘れて/隠蔽してはいないか注意しておきたい、という話

即売会後の打ち上げまでがイベントだとか、一部の出待ち文化はどうなるのかという話に「そんなのはイベントでも文化でもない」と言い切れる人はよくて、でもそうでない人は、どこまでの喪失と変容を受け入れ馴染ませるかというのは、誰かの作った定義や期限でなく自分で決めていくしかないのだと思う

「文化ではない」とされるものについて、ずっとこの時の思考、この時の状況を憶えている

10代のころからずっと「文化ではない」をやってきた感のある筋金入りの非文化人なのでは…。