260210/私とマグリット(あるいは寺山修司と森田剛)

𝘓𝘺𝘭𝘢
·
公開:2026/2/11

・NHKで放送されていた「私とマグリット 寺山修司」を観た。

・マグリットをこよなく愛した寺山修司とともに、数々の絵画やマグリット出演の映像を見ながらあれこれ語る番組。

・紹介文にある「舞台人の視点」はあまり感じなかったかもしれない。マグリットおじさん大好きおじさんがひたすら作品についてぼそぼそと語っていて、彼のことを知らない人が見たらNHKの解説委員だと思ったかも(逆に言うと、それだけマグリットやシュルレアリスムの含蓄が豊富で解説も素晴らしかった)。

・1977年放送、マグリットは1967年没ということで、「没後10年となる今年~」などとナレーションされていて時代を感じさせる。マグリットが影響を受けたとされるキリコやマルセル・デュシャン、エルンスト、さらにはマグリットが影響を与えたヘンドリックスなどの絵画も紹介されていて、かなり充実の内容だった。以下、印象的な部分をメモ。

・「個人的価値観」(1952)

マグリットはベルギー出身の画家で、言わずと知れたシュルレアリスムの代表的な人物。そもそもシュルレアリスムってなんなんですか?というと、でっかい戦争などがあって世界全体が「マヂムリ、、、すべては無意味。。。」となった頽廃的な時代に、「いや、無意味さを突き詰めた先になんかあるんじゃないの?(なんもなくても良くない?)」という主張のもと集まった芸術家たちの運動。いわば冷笑の冷笑という感じもある。マグリットのほかに有名なのはダリ、デ・キリコなど。特にマグリットはキリコから大きな影響を受けたといわれていて、初期の彼の画風はかなりキリコに似ている。

マグリットの絵画では「デペイズマン」という手法が多く使われていた。

デペイズマンとは「異なった環境に置くこと」を意味するフランス語で、ざっくり言うと「こんなものがこんなところにあったらおもろくない?」「これがめちゃめちゃデカかったら最高じゃないスか?」みたいな表現技法。

Il est beau [...] comme la rencontre fortuite sur une table de dissection d'une machine à coudre et d'un parapluie !(解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい)

これは、デペイズマンの概念を象徴する19世紀の詩人・ロートレアモンの「マルドロールの歌」という詩の一節(Wiki参照)。寺山も番組内で引用していた。

まったくの余談だが、匿ラでもマグリットについて語られる回があって、おれたちの恐山が「シュールレアリスム」と「デペイズマン」の概念を相当分かりやすく説明している。(おそらく2015年頃に国立新美術館でやってたマグリット展に行ったのだと思う。うちにも図録がある)

「ARuFaさんも個展を開きましょう」「オモロをやってる人が個展開いたら終わりだって!!」←約10年後にオモコロ20周年展をやる人たち

閑話休題。寺山修司は、幼いころ、マグリットの絵画「光の帝国Ⅱ」に描かれた山高帽の男に、いなくなってしまった父の姿を重ねたことをきっかけにマグリットに傾倒していった……と語っている。

(彼の「光の帝国」という作品はめちゃくちゃあるのだが、番組に登場していた該当の絵はネットでも家の資料でも見つけられなかった。無念)

・「大家族」(1947)

荒れ模様の空に、鳩のような鳥のモチーフで切り抜かれた青空。かなり人気の高い作品で(私も好き)まさにマグリットの代表作ともいえるが……。

「この絵はね、僕あんまり好きじゃないんですね。1947年の作品で、『大家族』ってのが何をあらわすかはわかんないけども。ちょうど大戦の終わりころで、つまりシュルレアリストたちが大量に共産党に入党した時期なんですね。ルネ・マグリットも45年にベルギーの共産党に行って。まもなく失望して脱党しちゃうわけですけども。その時期に、つまりこういう『大家族』っていう、鳩と青空っていうかたちの、非常にこう平面的な平和のイメージみたいなことを考えたっていうふうに、僕なんかはすぐ短絡して考えちゃうんですね。抜け殻の平和っていうか、虚しさっていうものを描こうとしたのかもしれないけども。ほかのマグリットの絵のような不思議さが見えてこない。ある意味で彼の一番きらった『解釈の世界』って感じ」

僕なんかが解釈できちゃう絵画なんてマグリットじゃない;;ということだろうか。まさに「チェンソーマンはね、服なんて着ないし、言葉を喋らないし、やること全部がめちゃくちゃでなきゃいけないの」である。(藤本タツキの画風も現代的なシュルレアリスムといえる)

ちなみにこの「大家族」、宇都宮美術館が600万ドル(1996年当時のレートで約6億5千万円)で購入していて、いまも常設展示で見られるとのこと。すげすぎ。行こうかな。

・「アルンハイムの領地」(1962)

マグリットの絵画にはよく鳥が登場する。寺山によると、マグリットが幼少のころ、鳥の巣を覗いてみたらそこには鳥ではなく卵があった、という驚きが彼の芸術家としての原点だった。思いがけないものとの出会いこそが美である、というのもシュルレアリスムの考え。

「三日月がよく出てくるけどなんなんでしょうね。ルネ・マグリットのサインの代わりみたいな感じで。爪みたいに細くて。魔術師が切った爪というか」

・「ピレネーの城」(1959)

「大家族」をディスっていた寺山修司だが、こちらは彼が好きな作品とのこと。

「ダリはとにかく大声で喋ってる絵の世界で。ルネ・マグリットっていう人はわりに低い声で、静かに喋ってる世界だって感じがしますね」

・映画「ルネ・マグリットあるいは実物教育」

マグリットが61歳のとき、友人のリュク・ド ・ユーシュによって自宅で撮られたという映画。マグリット本人が出演し、彼の作品と現実世界を融合させたような自叙伝的?映画である。これ、かなり良かったんだけどネットに転がってないんだよな。残念。家にある本を浚ってみても、映画に関して具体的な情報がほとんどない。どういう経緯で撮られたんだろうか。友人どうしのノリだったのか、当時はすでに彼の作品がアメリカで大ヒットしたあとなので興行収入も見込んでいたのか。いずれにせよ、彼の絵画の世界観と、彼自身の人柄を愛した人物が撮ったものだとわかる良い映像だった。

フランツ・カフカが毎日スーツを着て生活していたように、マグリットも常にきちんとした身なりで、ごく普通の規則正しい生活を続けていたらしい。友人とチェスをしたり、犬の散歩をしたり、絵画から想起される奇抜な行動というのはまったくない人物だったとのこと。彼は若くして初恋の人と結婚し、ベルギーの自宅で絵を描き続けた。生涯で飼った犬はすべてポメラニアン。面白いのが、犬の名前は絶対に「ルールー」か「ジャッキー」だったらしい。ルールーがいなくなればジャッキーを飼い、ジャッキーが亡くなればルールーがやってくる。マグリットの生活はそんな「反復」の繰り返しのようだと寺山は語っている。

「変わらない自分を一生かかって演じたというふうに僕なんかは考えますけどね。私生活の片隅に赤い幕が垂れてるというかね(笑)。そういう自己形成をしようというふうに決心して、貫いたということじゃないかなと」

実際、犬の名前の話なんかを聞くと、いや普通か?だいぶ変な人では……?と思ってしまうんだけど、こう言われると納得できるものがある。ただし「奇人」が「普通の人」を演じていたのか、「普通の人」が芸術の世界で「奇人」として振る舞っていたのかは、マグリット以外だれにもわからない。あるいは「光の帝国」で描かれたように、朗らかな青空と真っ暗な夜の街が、わけもなく共存していただけなのかもしれない。

ほか、つらつらとメモ。

・作品「描かれた青春」の解説の際、司会が「これはマグリットの好きなものたちの大行列、という感じですかね」と言われた寺山が「そうですね……」と言いながらフフ……と笑いだして(おそらく石膏像に注目したのだろう)静かな笑いが起きていて和んだ。マグリットは人物画でもほとんどモデルを取らなかったが、女性の裸身を描くときだけはかならず妻をモデルにしていたという。

・後から調べて驚きだったのが、この番組の司会のひとりとして出演していたのは太宰治の娘・太田治子さんとのこと。番組を観てても女性に話しかけられたときだけやたらと反応が薄いな~とは思ってて、単純に寺山がシャイなのか、やっぱり「女が偉そうに語るな」的な空気があった時代なのか……とか考えてたんだけど、それを知って観るとべつの見方も出来そう(下衆の勘繰り)。

・マグリットが影響を与えたのは誰だと思いますか?と問われた寺山は、芸術家はもちろんのこと、もっとも大きな影響を与えたのはデザインの世界だと語っている。だが彼の芸術があまりにもポピュラーになった結果、マグリットの作品は彼が求めていた「固定観念を壊すための芸術」というよりも、むしろ「壊されるべき観念」となってしまった、とまで語っている。実際、雲の浮かんだ青空や山高帽の紳士は「マグリット的」といえば通じるくらい、モチーフとして陳腐化してしまった感がある。

・さらに寺山は、マグリットの独特な名付けについても触れている。たとえばひっくり返ったリンゴの絵に「目覚まし時計」とつけたり、ストーンヘンジのように岩が積み上がっている絵に「会話術」とつけたり。意味深なタイトルがあることによって絵に奥行きが生まれ、鑑賞者はなにかあるのではないかと考えこむ、つまり絵を描くこととは名付けることではないかと語っていた。

・この「デザイン分野への芸術性の継承」と「名づけによって生まれる奥行き」のくだりを聞いていて、化粧品のマジョリカマジョルカを思い出した。マジョマジョの色名はかなり独特で、色をイメージできない抽象的な名前も多い。それが魔術的なコンセプトにとても合っていて、昔は商品一覧を見てるだけで楽しかったな~と。

・番組で、寺山はマグリットのことをたびたび「魔術師」と表現している。思いがけないイメージの結びつきを通じて現実を飛び越え、幻想的な世界へいざなってくれるものを魔術と呼ぶのかもしれない。

・恥ずかしながら寺山修司についてはまったく詳しくなくて、彼が実際にしゃべっているところも初めて見たが、ふと「佇まいがめちゃくちゃ森田剛に似てるな」と感じるなどした。

・表情があまり大きく動かず、大きな黒目が落ち着きなくうろちょろして、猫背で、もう今すぐ舞台袖に帰りたいというような雰囲気。わりに高くてしゃがれた声で、ぽそぽそと静かに喋るので、内気な人物のように思えるが、それでいてちょっとした沈黙が生まれても焦ることがなく、たっぷり考えながら言葉をえらぶ余裕もある。あえて大きく主張しなくても、自然とその言葉に耳を傾けられてきた人。これを世間はカリスマだとか天才だとかいう言葉で形容する。

・番組で、マグリットを好きになったきっかけを話す寺山が、父親のことを「お父さん」と言っていたのが印象的だった。父、ではなくお父さんなんだ。森田剛もいつかのインタビューで祖母のことを「おばあちゃん」と言っていた。公の場に出たからといって変に着飾ったり堅くならない素朴さというか、流されなさは舞台人の精神性なのかもしれない。

・森田剛も今となってはすっかり演劇畑の人間なわけだけど、彼が演劇の世界に見出されたきっかけが、寺山修司の戯曲「血は立ったまま眠っている」(故・蜷川幸雄演出)だったことに運命めいたものを感じる。

・ちなみに私が好きなマグリットの絵はこれ。4月から東京に巡回する展覧会で、どうやら実物が見られるとのことで楽しみにしている。

「人間嫌いたち」(1942)

@scape
まだうごく