好きなだけお喋りしてみる回
二十歳の話
誕生日の話
眠れない夜の話
節目という名の
二十歳になった。
なった、といっても実感はない。何気に「大人と子供の境目」、「節目」なんていう少し仰々しいようなイメージを持っていたけれど、何かが劇的に変わるわけでもなかった。これまでと変わらぬ日々が続いていく。お酒が飲めるだとか、年金の支払いが始まるとか。変化と言えるものはそれくらいで。
「成人」だけど「成人」じゃなかったこの1、2年。その曖昧さから少しは抜け出せたのだろうか。「大人の仲間入り」と言う人もいるけれど、やっぱりまだ「大人」と「子供」の間にいるんじゃないかと錯覚する。やっぱり節目でもなんでもないのかも。
きっと気づかないくらいの速度でゆっくりと「おとな」になってしまうのかもしれない。それでいつか「おとな」になった自分が振り返った時、「大人」「こども」の境界を引くのかもしれない。
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(そういえば、前にとある人が「大人と子供の境目は責任が取れるかどうか」と言っていた)
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自分の好きなことを少しずつ手にしていけたらいい。手の届く範囲を大事にしていけたらいい。そんなことを心に留めておきながら過ごしていきたい。
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誕生日の話
大好きなケーキをひとつ買って今日も家に帰る。ささやかなお祝い。
頑張った自分へのご褒美だからこの際何も気にしない。今日だけは好きなことをして、好きなものを食べて過ごすことにする。
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いつも温かい言葉をくれるひとがいて今日も誕生日のお祝いをしてくれた。
とってもうれしい。誕生日を忘れずにいてくれることも、お祝いしてくれることも。もっともっとお話しできたらいいのになと思うけれど、どんなこと話せばいいだろう、っていつも迷ってしまって結局お話できないままになっていた。なにかぽんっと送ってみようかな ✉
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貴方が生きていてくれることで私はどこか安心してしまう。
それが、姿も声も分からない画面越しであっても。
いつも本当にありがとう
貴方の言葉選びひとつひとつがとても素敵だと思う
気の向くまま頑張って、時には休んで
大丈夫って思える方に進んでいけることを願っています
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眠れない夜の話
二十歳はずっと、生きていくための目標だった。苦しくても辛くてもなんとか生きていこうと決めていた年だった。この目標が生きていくための頼りだった。それを失ってしまった今、本当のところ、どうすればいいか分からなかった。
数年前に抱いていた強い希死念慮はいつのまにか希釈されていて、漠然とした不安だけが不意に襲ってくる日々。鼓動が早くなってうまく息ができなくなって動けなくなる。何度経験しても慣れない。それにもう疲れた。
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雨の日。最近とても悲しい記憶を思い出したからか、そちらに意識が向いてしまって落ち着かない。そういった感情はいつまでも整理できないものだとどこかで聞いた。向き合って、丁寧に抱えていくしかないのかもしれない。
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最近また音楽を聴き始めた。
勧められた青葉市子さんのLive映像を聴いたり、どうぶつの森の夜~深夜あたりの音楽を聴いたりしながら眠くなるまで過ごしている。他に眠れそうな方法も模索中。何か見つかればいい。
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そんなこんなで好きなだけお喋りしてみたの回おしまい。