言葉を扱うのは難しい、という話
言葉にする瞬間、それはなにか違うものに変わってしまっているような感覚になる。頭の中にあるものをそのまま告げてしまうのはよくないのかもしれないし、言葉にしてもいいかというたくさんのフィルターを通って言葉になるのだから違うことは当たり前なのかもしれない。
それがたまに厄介に感じるし、その違いが時にとてつもない違和感になる。
[言葉は薬.]
言葉は薬だと思っている。
やさしいことばもトゲトゲしたことばも用法容量次第で毒になる。
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一時期ひたすら、苦しい気持ちのまま言葉をスマホのメモに吐き出していた。吐き出していた、といっても心の中にいろんな感情が渦巻いているのに、それを表す言葉を見つけることができなくてただ苦しかった。得体のしれない、形を持たない黒い靄がずっと沈んでいる感覚。今でも、時折顔を出す。いつになってもその正体を掴むことができない。分からないまま、というのは少しこわい。
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言葉にすることはこんなにも苦しいものだったのだろうか。
全部吐いて溢してしまえばどうにかなるのだろうか。
行き場をなくした言葉を、 声にならなかった言葉を、
誰にも囚われずに、 片付けたかった。
無かったものにしてしまいたかった。
ただそれだけなのに。
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いつも誰かの目を気にしながら言葉を口にする。簡単に言葉で傷つけてしまわないように(もしかしたらうまく言葉を選べなくて知らぬ間に傷つけているかもしれない、でも可能な限り傷つけたくないという思い)。
それと同時に、素直に伝えることも減っているような気がする。ただまっすぐに伝えるほうが良いこともこの言葉じゃだめだろうかとぐるぐるぐるぐる考えて結局口にしなかったり。
言わないで後悔するのと、言って後悔するのはどちらが苦しいのだろう。