日頃、交流がない、能登の親戚。父は5人兄弟の次男で下に3人妹がいる。それぞれ子供が2、3人ずついて、従兄弟は、一体何人いるんだろうか。子供の頃、能登に行った記憶が2回位で、その時、遊んだ子が数人。
母方の祖父や親戚が東京にいたりして、必然的に母方の先祖の話などは子供の頃から色々と聞いて育ってきた。もはや戸籍上は、そっちの家族ではないのだけれどね。
能登の祖父母には、人生で2回位会ったきりである。山の中に、ほぼ、ぽつんと一軒家で裏山も全部敷地みたいな古民家で、冬に雪が積もると、2階から出入りするようなところ。今は、村も統合されてしまったし、あの家も誰が管理しているのか、売ってしまってるのかすら分からない。時々、おばあちゃんから送られてくるしょっぱい梅干しが美味しくて、ふいに届くのを楽しみにしていたものだ。
そんな山奥から港町の宇出津まで、確か自転車で1時間位かかると聞いた覚えがあるけれど、父は宇出津にある高校に通うのが大変すぎるので、既に港町に出て働いていた兄夫妻の家に下宿させてもらい、暇さえあれば、映画館に通い詰めていたとか。それを親には告げ口せず、許してくれていた兄に感謝していると言っていた。
能登が、こんな状況になってしまって色々と調べ始めたのだけれど、戦後まもなくの頃の宇出津は結構栄えていたようだ。考えてみれば、映画全盛期とはいえ映画館があったのだ。もっと遡ると縄文時代の遺跡も多数みつかっているような所だ。はじめ人間基準でいうと人が住みやすい所ということになる。
幸いと言っていいのかどうかだけれど、宇出津港は、あまり津波の被害はない模様。高台にある親戚の家は傾いたりはしているとか。ニュース映像に出てこない町ということは、甚大な被害には至ってないのだと思いたい。停電で寒かったり、不便な暮らしを強いられているとは思うけれど、何とか乗り切っていただきたい。