年金と医療費と奨学金

sea7
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これまで自分の人生で御縁のなかったものの一つに厚生年金というのがある。実家も自営業だしね。でも父は、能登の田舎から次男という立場ゆえ、集団就職で上京して3年位富山の薬売りの会社で働いていた時期がある。そういえばと、ある時、父の年金の内訳を見てみたら、3年間分の厚生年金が含まれていた。とはいえ、月額手取りで6万円あるかないか。貯金と言っても微々たるもので、一体どうやって暮らしているのか不思議だけれど、何とかなっているようだ。母が亡くなり、都営住宅の家賃が約28,000円だったのが、約7,000円になって、でも今年からまた上がるのかもしれないとかなんとか。もう年金しか主だった収入はないのだから、家賃が上がるということはないとは思うけど。父は、時々、こづかい程度の収入がありはするけど、いよいよ確定申告はしなくても良さそうだ。となると弟か私の世帯外扶養というのを使う手もあったりする。高齢者だと48万円の控除のようだ。しかし、現状、私も弟もその控除を使わずともな感じなのだよな。一応、月々仕送りしている体である必要はあるし。

父が、一昨年位に、道端で勧誘されるがまま、高齢でも入れる民間の保険に加入...。年間10万円超の保険料だ。え、今更?と思ったけど、止めても聞かないから仕方ない。公的な国民健康保険に加入していれば、いざ入院、手術となっても高額医療費制度で、父の場合、月額上限25,000円程の支払いだ。一旦、1割だか2割負担の全額、例えば10万円とかを窓口で支払う必要はあったり、保険対象外の先端治療や手術、タオルや入院着などの入院セットは、医療費に該当しないため、25,000円以外にも色々と出費はかさむ。もし希望して個室にした場合は別途料金だ。それに、1日でも月を跨ぐと、上限額の対象がリセットされる仕組みだったりして、それも変な話。。

母は、およそ1年10ヶ月程、病院や施設に入院していた。個人的に入っている民間の入院保険はなくても、その間、こちらの支払いは、上限25,000円+入院セット代諸々で済んだけれど、では、実際に医療費として使われた国のお金は一体いくらなのかと思うと恐ろしい。十分、長く生きてきた人である。一方、ちょうどその頃、姪っ子が大学の奨学金を申請する時期と重なっていた。これからの若者だというのに、借金を背負って社会に出なければならないのだ。そんなのおかしいよ、ニッポンの仕組み。色々とすぐ変えられないのは国民性が邪魔している、というのも分かるんだけれど。。

そして、年金が現状の賦課方式のままだと、今の若者たちは将来、労働世代になった時に、1人につき3人の高齢者を支えていかなければならない。そうなると、出生率を上げていくのは、更に難しい。いくら文明が発達しようとも、生物としての人間は、原始時代から目覚ましく進化した訳ではない。女性の出産適齢期は限られているのだ。だからといって、卵子凍結を女性がキャリアを積むための選択肢の一つみたいな扱いにする事には、モヤモヤする。産んだ後には、子育てという絶対的な体力勝負が待っている。となると、女性がバリキャリになるための希望の道筋としての大学進学は、推奨されるべきことなのかどうかという、モヤモヤ思考ループが始まる。

妄想レベルだけれど、将来、年金受給対象者となった年寄が、年金に頼らずとも生きていける術を持っていることが必要なのではないかと思っている。金銭的な資産は大事だけれど、健康資産は、金銭資産よりも価値があるとも思っている。健康であれば無理のない働き方で、働き続けることだって出来る。働く=お金を稼ぐということでもなく、何かすることがあるということが大事で、それは、仕事でも趣味でも謎めいた研究でもいい。ちょっとだけ手の込んだ料理をするとか掃除を念入りにするとか家事を少し丁寧にするだけでも充実した時を過ごせるものだ。

それと若者たちが、資本主義の世界で生き抜いていくためには、いかにレバレッジを効かせた経済活動を形成していけるのかも肝なのではないかと思っている。若者には、時間という資産があるし、若いという事は、もはや才能でしかない。

常々思うのは、年寄りが若者の邪魔をしないという世界線であって欲しいということ。とりあえず、自分は、健康に気を配りつつ、金銭面では、経済のことを楽しく学び続けて、iDeco と新NISAも活用していきたい。年金は、働いて稼げる間は受け取らないつもり。受給対象の65歳から最大75歳までの間、収入がある程度あるうちは、年金で入ってきても税金で収めるという、行って帰ってこい状態になりそうだしね。その間に、途中で地球退散!となり、一円も年金をもらわなかったとしても何かカッコいいじゃん(笑)とか思いたい。自国に世話になったし置き土産していくね~みたいな。