シーアはリムサの裕福な家庭で育った。
アジムステップでの暮らしは質素だったけれどそこにいた頃はまだ小さくてそれを実感するほどではなかったので、リムサの家は奢侈を好む家庭ではなかったものの基本的にいいもの(高級品と呼ばれるもの)しか使っていなかったため「なんでもできる限りいいものを利用したほうがいい」というお金持ち思考。
しかし長く流民や冒険者に混ざって暮らしたので、この世の貧困の事実を思い知ってはいる。
その結果「あるところにはあるし、ないところにはない。そしてそれを局地的に与えたり奪ったりしても意味はない」という結論にたどり着いており、今でも彼はいいものを惜しまず使って経済を回し、物乞いに大金を与えたりはせず施設や働き口への寄付などを行っている。