最近は珈琲豆を焙煎する量が増えた。三条木屋町に新しくできた多聞という店の焙煎を任せてもらっているからというのがその理由の大半だ。
自分の屋号で出す珈琲を焙煎するのに使用している手廻し焙煎機とは違い、多聞に設置したのは排気機能のある電動焙煎機(といっても小さい1kgサイズのもの)。手廻しと比べ1回当たりの焙煎作業(予熱・焙煎・冷却)に掛かる時間は約半分、量は2倍弱程度の上がりになる。
実質4倍だ。はっきり言って効率が良い。5kg・10kg釜やそれ以上のサイズで焙煎しているロースターからすればかなりマイクロサイズだけれど。
手廻しと比べ火力も高く1回の所要時間が短いので豆に起こる変化も早い。作業中の思考と調整もタイムラインがぎゅっと圧縮されているイメージだ。ただ自分の中にまがりなりにも5年以上繰り返してきた蓄積があるので、うまくいく時・うまくいかない時の原因と結果の因果関係については自分なりの物差があり、大体はそれをそのまま使える。
焙煎を一度もしたことが無い状態でいきなり電子制御された最新の焙煎機を目の前に置かれても、目盛やグラフの数値を見て答え合わせをするだけになっただろう。再現性を高めること自体は商品のクオリティを保つのに大事だ。ただ、マニュアルをなぞるだけでは分からないこともある。何の要因が何の結果に作用しているのかを理解していないと、疑問を持った時に仮説を立てて検証することができず改善の余地も無い。
液体になった時の特性は手廻しとはベクトルが異なると思っているので味の比較については言及しないが、焙煎という工程において手廻しの時はアナログであることに手を取られてそれがノイズになっていたり、単純に時間が掛かり疲れる、というような場面が多くありそれらを自動化出来ることで思考のリソースをもっと芯の部分に割けるようになっているな、とは思う。
そんなことが頭の中にぼんやり浮かんでいる時に久しぶりにダンジョン飯を読み返すと、これだけ長々と書いたことを端的に言い表しているセリフがあった。
「何かを手軽に済ませると何かが鈍る 便利と安易は違う」