朝、ゴミを出そうと玄関を開け、お隣さん宅の南天に積もった雪を見て、最初に勤めていた会社のことを思い出した。
そこで働くには、日本の色にはどんな組み合わせがあるのか、どの季節にどんな花が咲くのか、また柄や意匠にはどんな背景と意味があるのかを知っている必要があった。
自分は元来そういったものが好きだったのだろう。仕事上の勉強という意識はあまり無かったくらい、それらを知ることが楽しかった。
自分にとっては新しいその知識たちが、幾百年も前の昔から誰かが共有してきたものだということもまた面白く思えた。
その中のひとつに、「雪持(ゆきもち)」という言葉がある。
木々の枝葉に雪が積もることをそんなふうに表現したのは、いったい誰が最初だったんだろう、といつも想像をしていた。
近場では他のどこに笹や南天があったかな、と記憶を探り、ぶるっと震えながらゴミを出しに通りまで出る。自分の肩に積もった雪を見る。自分も「雪持」だろうか。
こんなふうに、視覚や嗅覚は記憶と結び付く。
珈琲の香りで、誰かを思い出すこともある。