東京に居た自分はもう、13年も経つと思い出すのもやっとだったりする。
テレビで流れる映像に恐怖したことも、何時間も歩いて家に帰ったことも、散らかった部屋も、輪番停電も、明確な被災をしていない自分は縁辺で余波を受けていただけだ。
それだって被災って呼ぶのかもしれないけど、あちらと比べてどうか、って思ってしまうのが日本人的だなと思う。
そんなこんなで、今日はもう感慨に耽ることもなく一日を過ごしていた。外から、どこかから、記号化した日付が鐘の音のように頭を叩いて、何か少しでも心を向けないと、とこれを書いている。