20240416

seikatsutotane
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1つの仕事が落ち着いた。まだ少し放心状態。土曜日、私にとっての大きなイベントを終えてその夜打ち上げでのみすぎてしまった。久しぶりの二日酔い。車移動になってから運転を理由に飲むことを避けていて、自分のお酒癖が嫌いすぎて、いい理由だったのだけど、久しぶりに飲んでみたらやっぱり、案の定、安定のはしゃぎっぷりでした。

翌日は友人の展示を見にドライブがてらのんびりと過ごした。植物の在来種のタネを継ぐことをされている場所で種の話を聞いた。ニンジンのタネがどれかわからなくて、と相談したらトゲトゲが実はあって、販売されている種はトゲトゲがあると種まき機械に引っかかってしまうからトゲトゲを取って販売されていることを知りました。販売されている種のほとんどは消毒などされていて毒々しい色をしていることがあって、自然の状態のタネをみるのは楽しかったです。鶏にたがやしてもらうための構造体もあって、いよいよ鶏を飼いたくなった。

ガザの状況はもうとっくに限界を超えていて、したいことなんて希望なんて、明日食べるご飯もない、その状況をリアルタイムでSNSで知る世の中なのに、止められないことに、停戦されないことに、憤りしか感じない。たくさんの人が毎日こえをあげていることは、大手メディアが報じないことも、ないものとされている感じがしてならないけれど、諦められないのだ。先日、社会運動について知人に話したときに、運動している人は周りの家族とすれ違って、家族が崩壊してしまう場合があり、社会運動する前はささやかな幸せでよかったはずなのに。と言っていた。私も運動をするようになってから、家族との喧嘩が増えた。だからといって、周りも幸せにできないのに、運動をするのはちょっと、ってなってしまうと、またしてもないこととされたり、その特権性に絡めとられて声をあげることができなくなってしまう。そこについて腑に落ちる答えはないのだろうか。