運動と抵抗について

seikatsutotane
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社会の構造についてフェミニズム、ジェンダー、LGBTIQ+、植民地、帝国主義などをとおして勉強して知っていくと、とにかく悲しくなる。マイノリティーの人がマイクロアグレッションを受けるたびにもうここに行きたくない。と感じる回数は多数派の人よりはるかい多い。人権や、ジェンダーの問題に関心のない人の無自覚な差別についてどう介入して伝えていくか。ここがとても難しくて、わかりあえないことが多い。傷ついたらやめればいい、こなければいいと、言ってしまうのは簡単で、解決を永遠にしなければ少数派の人たちは永遠に生きづらい社会にいればいいということになってしまう。いつも少数派の人たちが身を削って声をあげる。けど、二次被害にあう。繊細なんだねと、片づけられる。そのたびにまた傷つく。誰もが安心して過ごせる場所はいったいどこにあるんだろう。

あらゆる運動は特権を持った人たちのスペースや活動にもなりうることに気づいた。同じことを言っていても、その中でも差別や偏見があふれている。そして、運動をしている人、声をあげている人の中に、人に酷いことをしている権力を振りかざしている人がいる場合、どうやって連帯したらいいのかわからなくなる。