※これはあくまで、いちキリスト教徒であるわたしが独自に考えたお祈りです(キリスト教の伝統的なお祈りの文言と違う方式を取っている箇所もあります)。もしよければ、キリスト教徒のかたもそうでない方も、ご自由にお使いください。
天の神さま、
今、わたしたちは、イエス・キリストの誕生を記念するクリスマスを迎えます。
イエスは、おそらく暗く、寒く、清潔とはいえない馬小屋で生まれました。母マリアは若く、長旅で疲れていて、大きな不安のさなかにあったでしょう。マリアの夫ヨセフも、それを心配しながら見守っていたでしょう。
ですが、イエスが生まれたことは、この世にとって大きな喜びでした。「主はそのひとり子を世にお与えになったほど、まことに世を愛された」とありますから。イエスが生まれたことは、あなたがこの世と、人間を愛している印でした。
ですが、今、イエスの生まれた馬小屋のあるパレスチナでは、ひとびとがイスラエル国家と、イスラエル軍のひとびとによって虐殺されています。
あなたはひとり子を、イエスと名付けるようにマリアに命じました。イエス、というのは、当時のパレスチナにおいてありふれた名前です。たくさんの、数万人のイエスがいたでしょう。そのような中の、なにも特別でない、普通の存在として、救い主はいました。
ですが今、パレスチナの地で、そのようなありふれた存在たちは、残虐に殺され続けています。我が子が、空襲や爆弾によってばらばらの遺体になっても見つけ出せるように、手足に名前を書いた親がいると聞きます。このようなことのために、彼らは彼らの子供に名前をつけたのではないはずです。あなたが、愛したひとり子をイエスと名付けたように、彼らも、おそらく愛をもって名前をつけたのでしょう。
パレスチナでは、いま、たくさんのイエスが殺されています。
神さま、わたしたちはしかし、パレスチナから離れた場所にあって、そのことを忘れてしまいます。知らないでいます。知らないでも、日々を暮らしていけます。目を背けてしまいます。
神さま、あなたはすべてをご存知です。
神さま、どうかわたしたちが、パレスチナのことを思い、向き合うことができるように、勇気を与えてください。虐殺を止める知恵と力を与えてください。あなたの平和を、今すぐパレスチナにもたらしてください。そしてその手伝いを、少しでも早く、わたしたちができますように。
神さま、どうか。パレスチナのひとびとが、飼馬おけのなかのイエスがそうであったように、穏やかに、恐ろしい夢を見ず、愛する人たちとともに、眠ることができますように。
また、わたしたち遠い場所にいる存在たちが、目覚める時、ごはんをつくる時、湯を沸かす時、仕事をする時、ふとした時に少しでも、彼らのことを覚えていられますように。彼らのために、祈り、働くことができますように。たとえ自分が無力だと思うときにも、彼らに思いを寄せることができますように。
この祈りを、イエス・キリストによって、み前におささげします。
アーメン