「クィアである」と証明する必要はないーーいただいたお題についてのお答え・その2

眞鍋せいら
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先日Waveboxに、次のようなご質問をいただきました。ありがとうございます!拙いながらも、お答えさせていただきます。(ご質問者さまへ。とりあえず全文コピペさせていただきますが、問題があればご一報ください。記事自体削除や一部添削をいたします。)

自分がノンバイナリーかどうか悩んでいます。どうやったら確かめられるのでしょうか。

以下、お答えできるかわかりませんが、やってみます。

メッセージありがとうございます。ご心中、あくまで想像ではありますがお察しします。自分のジェンダーやセクシュアリティ、悩みますよね……。かくいうわたしもクエスチョニングを自認していて、つまり自分のSOGIEを「確かめられた」わけではありませんから、あまりご参考にはならないかもしれませんが、「どうやったら確かめられるの?」と悩んだ経験はあり、というかいまも悩んでいます。ほんとうに難しい……。

ここから、すこしその経緯をお話ししますね。あくまでわたし、眞鍋せいらの話だと思って読んでいただけたら嬉しいです。

以前、あるZINEに寄稿をお願いされたのですが、そのZINEは「日々クィアとして暮らしているにもかかわらず、そのクィア性が不可視化されてしまうことへの抵抗」として出すという名目でした。とても大事なことだと思い、二つ返事でお引き受けしたのですが、締め切りが迫って書き始めるころには、わたしはすっかり困ってしまいました。というのも、自分の「クィア性」に自信がなくなってしまっていたからです。

わたしはそのころ、Aスペクトラムのセクシュアリティを自認し、公表していたのですが、原稿を書くころには「ほんとうにそう?」という恐れが首をもたげていました。つまり、自分はこの原稿を書くに値しない、Aスペクトラムでも、広義のクィアでもない、「ただの」アロシスヘテロなのではないか、という恐れです。

つまるところ、あくまでわたしの場合は、ですが、「自分のSOGIEを確かめたい」というわたしの欲求は、「自分はクィアじゃなかったらどうしよう」という恐れだったのです。そしてそれは、すごくすごく傲慢で、自分勝手な恐れに思えました。実際、そうなのだろうと、今でも思う時があります。まるで自分は、「クィア性」をファッショナブルな何かのように捉えているのでは、と。

でも、考えたら、わたしはだれに、自分のふわふわとした「クィア性」、揺れ動くクィア性を証明しようとしているのでしょう。どのように?なんのために?クィアでなければ、なぜいけないと思ったのでしょう?クィアコミュニティに居続けるため?だとしたら、クィアコミュニティには、「本質的な」クィアしかいてはいけないことになりませんか?アロシスヘテロであり、かつアライで居続けようとしても、当事者でないから所詮部外者なのでしょうか?

そう、ごく簡単に言えば、証明したり、「確かめる」必要などどこにもありません。「クィア性を証明しろ」と求めることは、それ自体が、「おまえがクィアでないことを証明しろ」と同じくらい、アロシスヘテロ中心的な考え方なのでしょう。トランスジェンダーに、「あなたの性自認はいつから形成されたのですか(子供の時からでなければ、あなたはトランスジェンダーではありません)」と一方的に問い、答えを出すのがおかしいように、あなたがノンバイナリーだと確かめる必要はどこにもありません。たとえあなたが確かめたいとしても。

一首、アロマンティック・アセクシュアルを自認して公表なさっている、尊敬する歌人・川野芽生さんの短歌を引用します。

いつ自分がさうだと気づきましたか、と入国審査のやうに問はれつ(歌集『Lilith』より)

わたしの場合は、結局答えは出ていません。わたしはいったん棚に上げて、「とりあえずクエスチョニングというラベルを自分に貼る」ことで落ち着こうとしています。クエスチョニングもクィアのうちとされています。そしてそのことは、わたしにとってとても安心することなのです。

大事なのは、あなたがいて、当のあなたがいま葛藤していることです。「葛藤があればクィア」と昔わたしに言った人がいましたが、そしてそれをそのままあなたに贈るのはいささか雑だと思いもしますが、でも、もしあなたがそう思いたければ、ノンバイナリーを名乗ってよいと思います。もし、あなたの悩みが「クィアであったらどうしよう」というものであれば、わたしのエピソードはとんちんかんなものであったというほかありませんが、でも、どちらにせよ心配しなくて大丈夫ですよ、とわたしはあなたに言いたいと思います。クィアであっても、違っても、変化しても、あなたの存在の方が重要だと思います。ラベルはあとからのものに過ぎません。ラベリングする/されることによって救われるのも充分、想像できるとは思いますが、それは必要不可欠ではないのです。でももし、それでもラベルが必要なら(それはぜんぜん悪いことではないと思います)ご一緒に「クエスチョニング」などはいかがでしょうか。

わたしの申し上げたいのは、このことです。ノンバイナリーであろうとなかろうと、明日は変化していようと、ご心配なさることはありませんよ。

最後にあらためて、メッセージを本当にありがとうございました。心からの親愛を送ります。

@seira
詩のような、日記のような