teacher、先生、선생님(ソンセンニム)——ことばと文字をめぐるエッセイ

眞鍋せいら
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公開:2024/11/19

はじめて自分で読んだ文字は、なんだったろうか。ひらがなで書かれた自分の名前?それとも漢字?

カタカナなら、思い出せる。「マ」である。保育園のころに住んでいた家の玄関脇には大きな本棚があって、戦後インテリの祖父の本がぎっしりと詰まっていた。赤と青の二巻本の背表紙はわたしの目を引いた。『マッカーサーと吉田茂』上下巻。マッカーサーの「マ」。「吉田茂」は漢字で書かれていて読めなかったから、わたしは日本の首相経験者より先に、GHQの総司令官で、朝鮮戦争の総指揮を取ったアメリカ軍人の名前を覚えたことになる。

または、アルファベット。最初にどの文字を読めたのかは覚えていないが、teacherという語をはじめて自分で書けた時のこと。ティーチャー。先生。音と意味はわかっていた。ところが綴りが書けない。中学に入ってすぐのテストのために何度も繰り返し書いて、ようやくではあるが、ふと、目の前が開けたように理解した。tea/ch/er. 「お茶」と同じくティー、と伸ばして、chと着陸させ、「〜をする人」を意味するerが続く。teach/er. 教える/人。これから何度も出会うはずの。

10月に韓国に行った。と言っても二泊三日の、とんぼ帰りの旅である。韓国を訪れるのは10年以上ぶりだ。その際にも韓国語を習ったはずが、全くできないままにそれだけの年月が経ってしまったことになる。二泊三日では旅行を楽しむのが精一杯だろう。わたしのことだから宿でも韓国語の勉強などしないに違いない、そう見積もって、でも何か後ろめたさもあり、言い訳するように斎藤真理子『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』(創元社、2024年)を鞄に入れて旅立った。

成田空港までの地下鉄で、暇にあかしてページを繰る。『隣の国の人々と出会う』はこのように始まる。

言葉は「말」(マル)。

朝鮮語で「말」(マル)。

말、と発音するだけで何かが始まる。

成田発仁川行きの飛行機の中でも、わたしは、ちいさなちいさな声で、말、と発音した。二つの音節から成る、말。「この朝鮮語の音は日本語にはない。だから、くり返して発音するだけで、口の中にちがう風が吹いてくる」と斎藤さんは言う。말。この言葉は、この本にも紹介されている『マルモイ ことばあつめ』という映画を観たから知っていた。でも発音するだけで違う風が吹く、とは考えたことがなかった。なんだかわくわく、そわそわする。말。말。

말は、ハングルで三つのパーツからなる。mの子音と、aの母音と、また子音のlだ。ふむ。これは10年前以上前に習ったので覚えている。上のパーツの마もわかる。マナベのマ(マッカーサーの「マ」)!

ここまで来たらこっちのものである。仁川空港から明洞駅行きの高速バスの中で早速メモ帳を広げ、書く。バスの窓に書いてある行先の地名を、注意深く。충무로、울지로。ついでに前の座席の後ろに書いてあるカフェの広告。스타파이브。最初のふたつにも、最後のものにも、下に小さくアルファベットが書いてあるが、そっちは極力参照するだけにして、発音してみる。chumg-mu-lo, eul-ji-lo。mとlはさっきの復習。loは路のことだろう。su-ta-pa-i-bu。paibuはファイブだね、fの音がpになるんだよ。韓国語を勉強中の、言語に堪能な同行者の親友が教えてくれる。なるほどなるほど。oはㅗなの?それともㅓ? 「ㅓはあいまい母音だよ」。ふむふむ。そう頭に入れてㅓ、と言ってみれば、それらしくなったような気がする。日本語では出会えない音。

もう一度、충무로を読むところからはじめる。충무로、울지로、스타파이브……日本語とはちがう風が、まだ見ぬ충무로、울지로を吹く。『マルモイ』の主人公が文字(글、クル)を覚え、街に溢れる看板を次々と声に出していったように、わたしたちは窓の外の文字たちを追う。가방(カバン)だ!と親友がつぶやく。

二泊三日の旅はほんとうに一瞬だった。買い物をして、地下鉄に試行錯誤で乗り、わたしが絶対に行きたいと言って植民地歴史博物館に親友といとこを付き合わせた(ふたりとも有意義だったと言ってくれた)。雨でダウンしてホテルで半日寝込んだわたしに、ふたりはかわいそうだからと、わたしの好きな漫画『ハイキュー!!』の韓国語版を買ってきてくれた。ふたりが再度スーパーへ出かけているあいだ、わたしはお気に入りのキャラクター、菅原孝支(스가와라 코시)と「セッター」(세터)というポジションの名を読めるようになり、大はしゃぎしていたので、結果的にはとても楽しかった。

最終日、空港に戻るときにはちょっとしたハプニングがあった。時間配分をミスし、空港まで予約していた電車ではなくタクシーで向かうことになったのだ。ホテルの人にタクシーを呼んでもらったのは良かったが、運転手さんは韓国語話者で、英語や日本語はほとんど話さない人だった。わたしたちは翻訳アプリ頼みで、ターミナルの数字や飛行機の時間などを伝えた。試行錯誤ののち、なんとかなったので安心したこともあり、わたしは運転手さんともっと話してみたくなった。

「これは教会ですよね」10年以上前に訪れた場所が突然車窓に現れたので、わたしは聞いた。懐かしい。キリスト教系だった母校のプログラムで、中学生の時訪れたのだ。

「そうです。知っていますか? セマウル運動の時にも重要だった場所と聞いています」

「セマウル運動?」名前は知っているが思い出せない。

「パク・チョンヒ大統領の時のです」

「ああ、パク・チョンヒは知っています」

「偉大な大統領でした」

おや、とわたしは思った。韓国現代史は少しだけかじったこともあるが、わたし個人は朴正煕を全然支持していない。むしろ逆である。

「昔の政治家は立派でしたが、今は……ムン・ジェインやイ・ジェミョンをご覧なさい。北におもねって、詐欺師のようですよ」

あまりこの問題には触れない方が良いかもしれない。しかし運転手さんはもう少し話したそうだ。

わたしは何も知らない外国人を装って、「南北統一についてはどう考えていますか」と聞いた。同乗者たちが、そんなことを聞いていいのだろうか、というような表情をする。

「もちろん統一を望んでいます。北を、我が国が吸収してひとつの国になるでしょう」

なるほど。そのような考えも確かにありそうだ。わたしは「アラッソ」(わかった)とだけ言った。

「はい、歴史の授業はここでおしまい」

運転手さんが重々しくいうと、親友がすかさず、「先生(선생님)!」と合いの手を入れた。

「ははは。わたしは先生じゃありませんよ……でももう一つ」、と運転手さんはミラー越しにわたしを見て、

「目上の人には、アラッソではなく、アラッソヨ(わかりました)と言うんですよ」と言い添えた。

「알았어, 선생님. 죄송합니다.(わかりました、先生。ごめんなさい)」わたしがなんとか応用して謝ると、

「괜찮아, 괜찮아.(大丈夫、大丈夫)」と笑った。

その後、運転手さんに「韓国の人たちは詩が好きだと聞きましたが、好きな詩人はいますか」と尋ねると、「キム・ソウォルとパク・モクウォルが好きですね」と教えてくれた。思わず「キム・ソウォル!知っています」と叫ぶと、嬉しそうに、「知っていますか? うちに彼の古本がありますよ。今度会うことがあったら、お見せしましょう」と言ってくれた。

「わたしは詩が好きです」と言い添えれば、「空想少女ですね。文学はとても難しい。人の内面を映すものです。わたしも昔は詩人になりたかったんですよ。でも徴兵されて考えが変わってしまった」と答えた。運転中なので、後ろ姿ばかりで表情は見えなかったが、苦笑していたように思う。

空港に着いた時、わたしは「先生! ありがとうございました」と韓国語で言って、運転手さんと握手して別れた。선생님、と韓国語で実際に誰かを呼ぶのは初めてだ。선생님は名刺をくれ、にこにこして、手を振って見送ってくれた。

二泊三日の韓国旅行。結局のところわたしは全てのハングルを覚えるにも程遠かった。でも、ことばを発音し、聴き、読み、書くという一つ一つの過程を、まったくあたらしい食べ物を口に含むように味わった。おそるおそる口へと運んで、噛んで、その美味なこと。飲み下したあとも残る風味。あたらしい말が口の中に連れてくる風。日本語、またはわたしの話す東京方言を話している時には出会えない風。

いま、東京の自宅のテーブルに向かい、マ、とわたしは発音する。マナベのマ。マッカーサーのマ。마。それにㄹをつけて말。ことば。お茶のcha、cher。英語でtea。teacher、先生、선생님。ことばが連れてくるあたらしい風と、その楽しさ、わくわく、そわそわ。そのことを思いだした隣国への旅。충무로、울지로……。またはじめからわたしはくり返す。teacher、先生、선생님。そして教室だけではない、目に入るもの、出会う人みんなを선생님にしながら。

@seira
詩のような、日記のような