どうやら私は、自分を大切にしすぎたようだ。
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人々は毎日のように、ナイフを飛ばす。目の前の人、知らない人、特定の人。ナイフが飛び交っている。
私の心にも、ナイフがある。なるべく表に出したくはないけど、つい向けてしまうこともある。気を付けなければいけないものだ。でも、誰しもが意識して気を付けられるわけではない。私も家族も、仲間もみんなそう。
……それだけならまだいいのだ。世の中には、ナイフをひたすら鋭利に研いで、特定の人に投げるのが生き甲斐の人も、それなりの数いるわけで。
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ナイフ投げを望んで行う人たちを、かつての私は直視していた。
「貴方がやるべき仕事は『ナイフ屋さん』じゃないでしょう?」
そう心の中で言った。何度も言った。一線を引けていると思っていた。誤魔化せていると思っていた。
飛び交うナイフは確かに、私の魂の表皮を掠めていた。
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ある日、テレビの中で飛んでいるナイフを見た後に、作業をした。明らかに能率が落ちていた。
誰もがするりといなしていくナイフを、私は避けるのが非常にへたくそなのだとわかった。刺さったり掠めたりした後の傷跡も、他人以上に治らず容易に膿んでいくこともわかった。それらを把握するまでに、ダメージを負いすぎた。
気が付けば私は、ナイフが飛び交う地域を避けるようになっていた。テレビも新聞も、ネットニュースも、トレンドも、すべてを見なくなっていた。
それは確かに、傷つくことのないことだろう。けれど現を知らなくなった私は、どんどん現実から離れていく。同時に、ナイフのいなし方も忘れてしまうのだ。忘れたころに飛んでくるナイフは大抵『嫌いだから理由を探す人』が投げたもので、毎度毎度とても痛かった。
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私が『ナイフをいなすという常識』についていこうとすれば。いずれ痛みに耐えられなくなり暴走を起すか、心が完全に破壊されて全ての悲喜を感じなくなるか。そんな未来が見えるなら、当然受け入れたくなんてない。
悶々と考えざるを得ないことが起きて、悶々と考えながら、今日の作業を終えた。目の前の数字は、ノルマを大きく超えていた。
……私はかつての自分よりも、傷の治りが早くなったのか? それとも、傷口をすぐに消毒できていたから?
わからない。わからないけれど。いなすことも許すことも、鈍感になることもできそうにないけど。
私が持つ『立派でマトモな大人の像』に、『毎日死んだ顔で仕事をこなすだけの、喜びも愛もない抜けがら』以外の道が、示されたような気がした。
まろやかなカフェオレに、一滴のブラックコーヒーが落ちた気分だ。けれど、黒ずんだおとなへの階段を一段だけ上るのは、悪くないと思った。
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結論。
明日以降の過ごし方は。心を守ったまま大人に近づけるかどうかは。
試してみてから決めてもいいじゃないか。