役目

selvatica
·

ずいぶんと久しぶりの記事になる。忙しかったり、夢中になれるものが増えたりしていた。

「気持ちをいちいち書き留めてなんていられない!」

そう思う自分がいたけれど、今日なにげなく読み返した言葉たちは、自分の胸にスっと響くものばかりだった。

やっぱり、自分が思ったことは書き残していくべきだな。改めて、そう思った。サボっていた表紙作りも、やらなくちゃね。


ひと月と半分ぐらい前の話。帰り道に、ドデカいナイフが置かれてしまった。(何のことなのかは、あえて伏せておく)

ナイフといっても、言葉のナイフなのだけど。いや、あまりにもクソデカ。ほんとにクソデカナイフ。それが、車窓の斜め前、それなりに目立つ位置に設置されてしまったのだ。

はじめてその事実を知ったとき、はじめてそれが視界に入ったとき、言いようのない不快感が喉に詰まった。そりゃ言葉のナイフだもの。

……まぁ、気持ちはわかるのだ。わかるのだけど。

車を運転してる人の、視界から逸らせない場所に、極めて大きなストレッサーを配置するということ。それなりに危険なのではないだろうか。

そして、その言葉がある場所の「本来の役目」は、それを置いた存在の「本来の役目」は、そんなものではないだろうに。


帰り道のあの場所に、言葉のナイフが、大きなストレッサーがある。一度わかってしまえば、視界から逸らすのは簡単だ。

反対側にある、目立つ色の看板を見る。決して見るな、アレを見るな。モヤモヤを喉に詰まらせながら、安全運転でゆっくりと過ぎ去る

モヤモヤを胃に抱えたまま、潰れた店の看板を通り過ぎる。幼少期から見てきたそれは、最近になって高さを失ったように感じて。

そうして、J-POPを1曲流せば家に着く程度の交差点に差し掛かったところで、それは見えた。

ぱち、ぱちち。

交差点の向こうに見える、縦長の看板。内側からポンポンと、光の花がはじけるのを見た。

それと同時に、自分の胃につっかえて、飲み込めずにいたわだかまりも、ぱちんとはじけていった。


そんなこともありて、私は最近ずっと「役目」について考えていた。私の役目が何かといえば、紡ぐべき言葉を紡ぎ、それを口当たりの良い形へ仕上げ、誰かに「今日も生き延びれた」という感情を与えること、なのだろう。長いこと、それを胸に抱いたまま、生きてきた。

けれど、自分の体は、心は、現在そこから離れている。自分が自分の生に満足できていないから。心の器が、インプットという名のリハビリを求めているから。

(そんな文章の途中ですが、嬉しい報告です!! 大手ジャンルかつ後ろめたい事情が一切ない推しができました!!!!! 本編でも主役級の活躍をしていて供給が多すぎます、逆に助けてください!!!!!)

……少しふざけちゃったけど、要するに壊れていた心が少し治りそうなのだ。インプット、やはり大事。

というわけで、しばらく自分の役目とか使命とかは、心の隅に置いておくことにした。無理をしない範囲で、自分を育んでいこうと決めた。

それが、今の自分に課した役目であると、心の底から思うことができるから。

@selvatica
日記とか、思ったこととか。詩的な文章の練習。 感じたこと、考えたこと、喜びも悲しみも、残して置けるように。 (明るく暮らしたいけど、時々ネガティブなおはなしもあります。表紙の色がその文の雰囲気です)