母が、亡くなった

朧せつら
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2024年が始まって数日、母が亡くなった。

とは言え突然では無く数ヶ月前に余命宣告されていたから、私も父も心の準備をして迎えた死だった。

今回初めて肉親を亡くしたのだが、ひとつ心配事があった。

私の職場で「忌引」で休んだことのある人はそれなりの数に上る。時々「あの人が忌引なので休み調整するね」の連絡もある。そして忌引が終われば皆普通に出勤してくる。「果たして、自分も普通に出勤出来るのだろうか…そして、忌引の間は何が起こるんだろう…」とずっと考えていた。

かと言って誰かに訊くことも出来なかったので、自分でレポートを書くことにした。勿論、関係や環境に依るので一概に「皆こうなる」は言えないけど、今まで経験したことの無い方の参考になれば。

亡くなってから数日

私と父及び母の関係を一言で表すなら「淡白」。私が家を出てやや近所に居を構えて10年以上余裕で経過しているが、会うのは年に数回。LINEも電話も殆どしなかった。後悔も、余命宣告されて以降自分が出来る限りのことをしてきたので、無かった。

それでも母が亡くなったストレスは計り知れなかった。前日に見舞った時はまだ声に反応があったし手も温かかったのに、たった1日で「モノ」になってしまった…という衝撃。

個室なのをいいことに、声を上げてわんわん泣いた。泣き過ぎて頭痛が激しくなったくらいには。

その後数日間は何も考えずひたすら簡単に出来るゲームをしていた。のめり込めば8時間位は連続でゲーム出来る体質なのも幸い?して、ほぼずっと。以前『「テトリス」には不安とストレスを軽減する効果がある』みたいな研究があったけど、まさにそれを無意識に行っていたと思う。

4日めでようやく「外に出るか…」という気が起きた。翌日には体をほぐす目的でジムへも行っている。

葬儀前日・当日・翌日

母が団塊の世代に概ね当てはまるが故か、先月から火葬場が一杯で順番待ちという状況に。なので、亡くなってから1週間後に葬式を行うことになった。その間は葬儀屋が所有している保管庫に預けていた。

気持ちは大分落ち着いてきていたものの、喪主よりの葬儀は経験したことが無く前日から随分緊張していた。単に参列するだけならもっと気楽だったろうが。

当日は朝から慣れない服装で慣れない式に臨み慣れない人付き合いをして、更に沢山泣いて、猛烈に疲れた。

そして一番ショックだったのは、母が骨になってしまったこと。

1週間も冷蔵されていたので、体が亡くなった時より更に「モノ」化していたこともショックだったけど、骨が一番堪えた。これでもう、どうやっても戻ることは出来ないんだ…と実感してしまったから。

帰宅後も立ち直れず、翌日も相変わらず落ち込んでいたけど、友達に「お母さんの魂は、苦痛から解放されてあちこち飛び回っているよ」と話され、「そうか、それなら完全な終わりじゃないな…」と少し落ち着いた。

~忌引明け

役所への手続きは何故か葬儀が終わらないと進まないものが多く、急に忙しくなった。

殆どの手続きは父がやったけど、私は少し離れた役所へ戸籍謄本を取りに行ったり(と見せかけて、まだ死亡が戸籍が反映されてなくて何も取らずに帰った)、スマホ解約したりを担当した。

そしていよいよ出勤。

誰でもそうだと思うけど、仕事する際には仕事用の「顔」(仮面と言い換えてもいい)があり、それを付けていさえすればいつも通りだった。

ただ泣きそうになるきっかけは、当分は全力で避ける必要がある。

まとめ

予想より遥かに大きいストレス故に、忌引休暇は有難い。

はっきり言って仕事出来るレベルでは無かったので、休んでもらった方が邪魔にならないという会社側の都合もあるかも知れない。

ただ、死という非日常に放り込まれて、さらに仕事という日常からも遠のくので、戻ってこられるかどうかの不安があった。

実際は、その日が来ればちゃんと戻ってこれた。少し、心は非日常を彷徨っているけども。

もし、あなたの同僚が肉親の忌引から戻ってきた時は、あなたはいつも通り接して下さい。

皆の日常に紛れることが、非日常から離れる一助になるので。

おまけ

10日ぶりに開けたアウトルック、メールが280通あって頭抱えた。

@setsura_o
モブゲーマーが、文章を書く練習をしているようです サブ:sizu.me/kaguya_licht ブルスカ:bsky.app/profile/kaguyamondlicht.bsky.social