同じアイドルグループを好きな職場の人と飲んだ。彼女は推しと付き合いたいと思っているいわゆるガチ恋タイプのオタクで、推しの一挙手一投足に一喜一憂している話を聞くのはめちゃめちゃ愉快で面白かった。一方でわたしは推しのことをわたしのメシアだと本気で思っているし、推しを好きであることを一種の宗教だと思っているのだけれど、それを話すとかなり面白がられた。周りにそんな推し方をしているオタクがいないのか(わたしだって推しのことをメシアだと言っている狂ったオタクに会ったことはない)、推しと付き合いたいとか思わないんですか!?とかなり驚かれた。思わないですよ、メシアなので。信仰してるんですよ。至極真面目にそう言うと、彼女はいろんな推し方があるんですねと笑ってビールを飲んだ。
店を出る直前、せったさんって彼氏いるんですか?と聞かれた。いないです、ずっと、と言ったわたしに、彼女は食い気味に「じゃあせったさんも彼氏がいたら推しにガチ恋する感覚絶対わかりますよ!」と言って無邪気に笑った。いやいやメシアなんだってばとわたしとしては本気で言ったのだけれど、冗談だと取られていると感じたのであまり言いたくなかった答え方をした。「推しだからとか関係なく、自分の恋愛に興味がないんです」
滅多刺しにされた気分だった。この手の攻撃を受けたのはずいぶん久しぶりだったけれど、何度くらってもきつい。いろんな推し方があるんですねと言ったのと同じ人から出た言葉だと思うと余計にグロくて笑えた。
昔から自分の恋愛の話をするのが心底嫌だ。あまりにも嫌なので、嫌だと思うたびになぜ嫌なのかという理由を考えるようにしている。たぶん、というかまず間違いなくコンプレックスなのだと思う。いつまで経ってもわからないことや、他人からはいつかわかるようになると思われていることが堪らなく嫌なのだ。それでも定期的に、無遠慮に、悪気なく尋ねられる。うるせえ、知らねえ、昔から興味ないんです。なんでとかわかりません。気持ち悪いのかもしれないです、わかりませんけど。興味がないだけなのに、なんでそれがおかしいとかおかしくないとか考えないといけないんでしょう。だけどこの手の話を振ってくる人はこんな面倒な会話がしたいわけではない。だからいつも適当にやり過ごして、やっぱり嫌だなと思いながらポイントカードにスタンプを押して、1人で泣きべそをかく。ちなみに今回は久しぶりだったので、あえて向き合い文章に起こして考えを整理してみている。しっかりべそべそ泣きながら。
数年前にアセクシャルという言葉を知り、嬉しいとまではいかないが気が楽になったのを覚えている。それをあえて公言しようとは思わないけれど、わたしのコンプレックスみたいなことを真面目に捉えている言葉や定義が存在するということを知れて良かったなと思っている。
ところでわたしだって推しに恋をしている。
わたしはわたしのために推しの幸せを願っているし、彼らのおかげで毎日を前向きに楽しく生きている。この身勝手で気持ち悪くて愛おしい感情を恋だと呼んでもいいと思っている。でもこんな話はネットと本気で最高じゃんと笑って聞いてくれる人たちの前でしかしません。嫌だよ、恥ずかしいもん。