猿の水練 魚の木登り

shakesaki
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※こちらはハイパー自分語りです。ご注意ください。決して自分だけが辛いと思っているわけではないことと慰められたい訳ではないこともご承知ください。

 自我というものはよくわからないけれど、自信を持って「自我が芽生えた」と言えるようになり始めたのはごく最近だろうと思う。両親はなかなかにご立派なことではあるが「人の為に生きる」事を信条にしている。そのため私も当然「そう」であれと育てられた。母のように自分の欲しかったおもちゃを譲り、父のようにやりたくなかったことに挑戦し、いじめという言葉では軽いほどに人生を壊したあんちくしょう達を周りの理想通り許すことに努め、明るい態度で笑顔を振りまき、心身を少しずつ壊しながら周りの期待通りの「人の為に生きる両親の娘」であろうとしてきた。

 もちろんそんな生活が長く続くはずがない。やっと休息を得て自分自身を見つめられるようになったのは、皮肉にもブラック企業で徹底的に体と精神が壊れて休養することにしてからだ。ブラック企業を辞めて1年半ほど経った時のことだった。お節介と人手不足で動画関連の仕事をまわしてきた親戚が、私にこう言った。

「シナロちゃん、あの人の娘だから初めてでも簡単にできるよね!」

 少し、ほんの少しだけ、心がざわついた。

 それから、動画撮影だけだった仕事が動画撮影 兼 動画編集になり、さらに動画撮影 兼 動画編集 兼 サムネ作成 兼 チャンネル管理になった。もちろん初めての事なので、休日や休憩を潰して動画関連の本を読んだりプロの方の指南動画を見たり初めて触れたAdobeの使い方を隅々まで読んで確認したりしてひたすら編集の練習をした。結局丸1年はAdobeのおかげもありいい感じに動画編集の仕事をしていた。そしてある時、新たに日本語版と英語版のショート動画の編集の仕事を持ってきた親戚がこう言った。

「もっとちゃんと働けるようになったらさ、独立して動画編集で稼げばいいんじゃない? あの人たちの娘だし大丈夫だよ!」

 人生において無視してきた心のざわつきが、無視できないほどに大きくなった。今までさんざん言われてきた「シナロちゃんは〇〇だから〇〇したら」が頭の中に木霊した。家に帰ってから、人生で初めて壁に向かって「私は私だ」と叫んでいた。聞こえていたらしい母が心配するのを無視してでかいモナカアイスをがつがつと貪った。そのままの勢いで翌月上司に仕事を辞める相談をし、すべての仕事を気合で終わらせ、後輩への引き継ぎを済ませ、きれいさっぱり辞めた。思っていたことも全部家族にぶちまk…明け透けに打ち明けた。

 私は私だ。あんちくしょうたちはどう頑張っても許せないし、明るく朗らかに他人に尽くせないし、何でも調べて練習しないとうまくこなせないし、朝はとても苦手だし、体は生まれつきすこぶる弱いし、お外は怖いし、どう頑張っても生身の人間は苦手だ。それに気がつけたのは、私にとってとても衝撃的なことだった。

 もちろん、まだ昔の記憶に引きずられることがある。こうあるべきと言う過去の自分がちくちくことばで責めてくる。それでも私はやっと自分に向き合えるようになったばかりのひよっこだ。だから焦らないで、できることをひとつひとつやっていけばいい。まずは思いの丈をしずいんに綴ってみよう。「私は私」をもっと抱きしめて、自分のものにできるように。