読まれなかった数多の小説たち

sheepyo
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趣味で小説を書き始めて、8年くらいが経つ。

自らの才能のなさというか、作家として生きていけないだろうということはずいぶん前に嫌って程理解して、それでも書いているのだから、やっぱり好きなんだと思う。思うような表現ができなくても、書きたいものが形になってくれなくても、それでも。俺は俺の小説が好き。

だから、読んでもらえると嬉しい。

そして、読んでもらえないと悲しい。

小説を書いていることは特段隠すつもりはないので、話の流れで書いている、というと、多くの人は無邪気に読ませてほしいという。それ自体はありがたい。

けれど、そう言って読まなかった人は何人いただろうか。

そのこと自体は責められない、と思う。所詮は素人が書いた作品で、大企業すら可処分時間を奪い合っている現代で、時間を割いてくれること自体がありがたいのだとわかってはいる。

けれども、読むと言ってくれたのに、やっぱり読まれなかったってことがさみしい。忙しくて読めなかったのかもしれないし、つまらなくて感想を言えないのかもしれないし、まだ読んでないのかもしれない。みんなが俺に嘘をついているわけでもない。でも勝手にがっかりしてしまう。作品は子どものようなもの、とまでは俺は思えないけれど、そのたとえに従って言えば、遊びに誘われたわが子が、その場になじめずに帰ってきてしまったような感じだろうか。

そうやって読まれなかった作品はこの世にいくつあるのだろうか。

世の中そんなもんさ、と思うけれど、さみしさを消せない日もある。