1月に書いたやつです
去年流行ったアニメが全部好みではなかったり途中で見る、読むのをやめたやつばっかだった。そういうときもある。
というわけで、そんな作品たちへの感想というか所感を書いていく。いうなれば愚痴なので、呪術廻戦と推しの子と薬屋のひとりごとと葬送のフリーレンが好きで、それらに対しては誉め言葉しか聞きたくねえぜって人は去ってね。俺にもそういう作品はあるから。気持ちはわかる。
でもこれら全部好きじゃない人ってほとんどいなくない?
いたとしてそういう人はどうやってここにたどり着くんです?
この文章誰が読むんだ?
もういないな?
呪術廻戦は、最初っから追ってて、17巻くらい(禅院家つぶしたとこ)で単行本を買わなくなった。エピソード0にあたる高専の話が好きで、この作者のなら面白いだろうなと思って読み始めた。実際面白くて読んでいたけれど、メカ丸から始まり、釘崎に七海とぽんぽんとキャラクターが死んでいくし、五条が封印されたのはまあそうだろうと思ったけど、夏油が中身別の人ってのが結構辛かった。まあ、それもカタルシスに向けたパトスだろうとは思っていたし、実際東堂が出てきて真人との戦いは面白かった。
でも、その落ちで夏油の中の人が全部持って行っちゃったのが俺は気に入らなかった。虎杖があの絶望を経て、覚悟を決めて立ち向かい、真人に勝ったのに、それを取り込んじゃうっていうのが、報われた感がなくて嫌だった。あと微妙なとこだけど、いわゆるインフレが進んだ感があって、真依とか三輪とかこの先何ができるんだろう……って思っちゃったのもある。キャラクターの造形はとても魅力だからこその不安。
この時点で結構気持ちが離れたところに、死滅回遊のルールが説明されたけど、それが本当によくわからなくて……。なんというか、この先キャラクターたちが何を目指して何をすればいいのかを俺はこの時に掴みそこなって、それで読まなくなってしまった。
なんとなく話題は入ってくるので、五条が死んだとか伏黒が死んですくな(変換できねえ)が復活したとかは知っているけれど、やっぱりもう一度読もう、とはなってない。アニメの出来がいいらしいので、ショートとかで見たりはするけど、話自体は知ってるからと本編を見ないまま、アニメは終わってしまった。漫画が完結したらちょっと読もうかな、とは思う。
推しの子は、かぐや様を途中まで読んでいて、ジャンププラスとかヤンジャンで無料で読めたので、一話から読んでいた。単行本は買っていない。面白いな、と思っていたけれど、俺は赤坂アカさんの作風というか、たぶん価値観が合わないので。
彼の作品を読んでいると、競争に勝つことと数字というものを重視しているような印象を受けた。競争社会の中で誰かを出し抜くとか、成果を上げて人気になるとか、お金を稼ぐとか。そういうことがとても重視されている空気を作品世界に感じる。推しの子は題材が芸能界ということもあって、それを顕著に感じたのかもしれない。別に競争や数字が重要じゃないということはないけれど、なんというかインフルエンサーを見ているような感覚に近いものがあって、時折感じるそれがどうにも合わない気がしていた。
それを特に感じるようになったのが、ルビーがゴローの死体を見つけて以降の展開。あのあたりから俺は面白いなと思う気持ちを合わないなという気持ちが凌駕して、追わなくなった。
で、アニメが始まった。俺は映画とかじゃないアニメで30分以上あるやつがどうも苦手で、これも最初が1時間くらい(2時間だっけ?)あったので、なんとなく見なかった。ちなみにリゼロも同じ理由で触れてない。まあ、それ自体はいいんだけど、リアリティーショーの話でちょっと騒ぎになったとき、作品側に立った人間による看過できないレベルの発言と、そこに四桁のいいねがついているのを見てしまって、それからはYOASOBIの主題歌すら聞くのも避けるようになってしまった。作品は悪くないし言ってるのも賛同してるのもごく少数だろうけど、どうもね。
薬屋のひとりごとは、家族が漫画を持っていて、風邪をひいたときに暇つぶしでよんだ。サンデーうぇぶりに乗ってる方。で、これは出会い方というか前情報が悪かったんだけど、「本格ミステリー」っていう風に宣伝されていたのを見ていたので、そのつもりで読んだんですよ。
薬屋のひとりごと、あんまりミステリー要素ないじゃないですか。いやあるはあるけど、少なくとも本格ってついてるのはちょっとちがくない? って率直に思ってしまって、それで乗れなかった。ミステリーが売りではないというか、多分人気なのってそれ以外の要素じゃないかと思う。読んだのは四巻分で、おそらく小説の一巻分。ストーリー自体は読みやすいしまとまっているしで、特に悪いとは思わなかったけれど、先述した拍子抜け感があって、どうにも面白さに乗ることができなかった。この場合、探偵役で主人公にあたる猫猫に対しても同じように期待外れと感じてしまうのがよくない。まあ、これは本当に出会い方が悪い。主人公の造形が悪いわけじゃない。
あと、ヒーローにあたる壬氏(じんし。漢字これであってるっけ)がはまらなかったというのもある。猫猫が彼を魅力に思っていないというのもあるかもしれないけど、彼が作中で好かれている理由が顔以外にわからなかった。これは読み込みが足りないと言われてしまうかもしれないけど。
葬送のフリーレン。これは一巻がでたあたりで話題になっていて、最初の方は読んでいたけれど、忙しいとかなにかでちょっと読まなくなった時期に、そのまま復帰し損ねた。面白くない話だとは思わないし、一話とか今見てもすごくいい話だと思うけれど、そこまでの熱量は持っていなかった。こういうのは別にフリーレンに限ったことじゃなくて、どんな作品にもありうることです。「まあ、いいか」となること。
で、アニメが始まったわけですが、金曜ロードショーでやりましたね。2時間くらい? 推しの子のところでも触れた通り、俺はアニメで続き物の場合30分以上だと尻込みしてしまう。まあそれでも話題作だし、絶対流行ると思っていたので、一応見てみようと録画してみていたんですが、結局最後まではみれなかった。なんでですかね……。2時間と言っても30分単位の話が複数入っているだけで、いうなればそれを一気に見ているだけなのに。それなりの長さがあると、ちゃんとその中で話に落ちがついてほしい、とかだろうか。でも、ドラマは普通に見れるんですよ。アニメは30分という感覚が染み付いていて、それを超えると長いって思っちゃうのかな。ひょっとしたら配信で見ていたら気にならなかったかもしれない。
とにかく、そういうわけでアニメの消化が追い付かないまま次の話も来る。そうなるとまた「まあ、いいか」となって追わなくなる。そしてそのまま、今に至る。
ここまで流行りものに乗れなかった話すると、流行っているものが嫌なのかと思われそうですけど、我が家の五十個くらいある家訓の一つには「流行りものにはのっとけ」というものがあるので、別に流行りもの自体は嫌じゃない。そのうえで合わないとか好きではないとか出会いが悪いものが去年は集中したという話。まあ、流行っていると作品の思想や社会性にばかり目を向けて、その審美的価値や描写を軽んじる人や、バズるために作品の要素を誇張し、大味で敬意のないラベルを作品やキャラクター、果てはその作者にべたべた張り付ける人が出てくるのは苦手ですけどね。流行りものというか、それを取り巻く環境は苦手かもしれない。
ところでPC版のムード機能を使ってみたいけど、間違いなくこの記事じゃないよな。