DREAM SHOW3 ソウル公演が終わった夜に
誰にも届かない話。これはNCT DREAMのコンサートの話ではなく、ただの私の話。こっそりノートに書いたメモ書きで、いつか読み返したらその時には全く意味がわからないものになっているかもしれないし、もしかしたら私を助けてくれるかもしれない。今はまだどうなるかわからない。それでも今日コンサートが終わって歩きながら感じた気持ちとソウルの夜の空気が本当に良くて、それが消えてしまうのがあまりにも惜しいので、久しぶりに書いてみようと思う。
コンサートが終わって、夜の道をただ1人で歩く。その日一緒に楽しんだ誰かとじゃなくて、ただ1人で。アイドルに対する感情ではなく、その日の幸福感でもなく終わってしまったことへの寂しさとも違う、何ごとにも変えられないその時間は、生きている中で一番自分に集中できる時間のような気がする。風に当たると、熱気や感傷的な高ぶりが収まってくる。いつもはあちらこちら余計なところへ飛んでいき、落ち着きなく動いてしまっている感情が、あるべきところにすっと留まり収まるような感覚がいい。知らない街の、知らない景色をみながら、来た場所に向かって歩き続ける。夜の道は静かで人も少なくて、視界に入るものに惑わされれず、考えに集中できる分、私はここにいる何も無い1人だと歩むたびに実感する。何かに追い立てられることもなく、他人を責める必要もない。ただのひとり。ひとりぼっちとも違う、ひとりの私。元いた場所に帰るだけの私でいられる。今日のソウルは昼間に気温があがり、湿気もなくからっとした初夏を感じる陽気だった。既に23時近くだったが、ノースリーブでも十分に歩けた。歩き続けて不快にならない気候は、1年のうち一体どれくらいあるだろう。会場を出て橋を通って、グロ駅を超えて団地の周りを歩く。あちらこちらにコンサート帰りの人たちがいる。外で飲んでいる人がいる。コンビニでたむろしている人がいる。話し込んでいる人もいればひとりの人もいる。沢山のバスとタクシーが横を通り過ぎていった。このまま漢江を渡って、永遠にどこまでも歩ける気がした。
公演が決まりソウルへ行く準備をしていたときから、公演中、そして最終日が終わってから、ずっとずっと同じことを考えていた。私にとってジェミンはどんな存在だろう?どこが好きなんだろう?なぜ好きなんだろう?と。絶対にそこを見てわかるはずもないのにSNSを検索したり、人に聞いてみたりして。
これはひとつの答えとして、ジェミンは私の期待物質そのものだ。この先の未来で何かをしてくれるんじゃないか、という期待値。かつてジェミンと出会った瞬間、SMTのUNIVERSEで大きな衝撃波に打たれたとき、DREAM SHOW 2のHot Souse を観たとき。ここで何をするんだろう、何かやってくれるだろうと期待して、心臓がひゅっと音をたてながら、地面に落下する。息が止まる。センターに立った瞬間、カメラに抜かれた瞬間、そのタイミングを自分の手のものに出来る人。この世界で1枚しかない、ランダムトレカ。当たれば一攫千金のオッズ高の万馬券。予測不能な未来を起こす唯一の当たり。他では絶対に得ることのできない快感を生み出すドーパミン。そういう存在。いつも新しいものを見せて欲しいと思っているし、考えられない何かを、想像できない何かを、定説を、私の常識と日常を、ぶち壊して欲しいと願ってしまう存在。だからコンサートで見ているのは、ジェミンの歌やダンスじゃなくて、もちろん電光掲示板に映る顔でもなくて、瞬間的で圧倒的な「何か」としか言いようがない何か。その例えられない何かを求めてしまっている。
そしてもうひとつ、NCT NATIONで初めて気づいたことがあった。自分の目の前で、座っていたお姉さんが「あの子かわいい」とジェミンを見つけて、その場でジェミンのインスタをフォローしたとき、あぁ、そういうことだったのかとわかった。私はジェミンで歓声があがるのがとてつもなく好きで、それが何よりも嬉しいということ。より大勢の人にこの世界をぶっ壊す存在だと知ってもらいたいと同時に、もっと愛されてほしいと心から願っていること。当然、私がそんなことを思わなくても、もう既に多くの人たちに魅力が知れ渡っているし、実際世界中で愛されている人だと思うけれど。そしてこの先もそれは変わらないだろう。またこちらが「あなたはそれくらい魅力的だよ」と言わなくても、当人自身もそれをよくわかっているだろうけれど。それでも、ジェミンがこのステージを、会場を、ありとあらゆるすべてを、独占する瞬間がたまらなく好きで、愛されているところを見るのが好きで。多方面からの愛に満ちあふれた笑顔で、歓声と脚光浴びて、存在感を足らしめている姿が、何よりも好きだ。
それで、あなたにとってジェミンがどういう存在で、なぜ好きなのか、その理由は十分にわかっているじゃないかという話なんだけれど。
2023年は決して楽な1年ではなく、かなりしんどい日々が続いた。まず転職をしたことが変化としては大きかったし、生活では今まで経験したことのない状況がいくつか起きた。正解や答えのない状況を理解しようとし、なんとか持ち合わせた言葉で整理して、ひとつひとつ業務のようにこなす。息つく暇もなく、どれも仕事のようだった。自分自身が変わらないと、あるいはこの状況を受け入れないと、すべて終わってしまうような気がして怖かった。1人で生きている時間が長い分、本当はどんな状況であっても、心を腐らせることなく生きていける人間だと知っていたけれど、これまで上手くやってきたから大丈夫という経験から無駄に意地だけがあった。その意地が諦めることを邪魔して、ここで放棄すれば、仕事も家庭も、生きることすべてがまともに出来ない人と思われるのが怖くて、誰のことも許せなかった。当然、自分も。それでも負の感情を簡単に覆いかぶせるわけでもなく、表面上の自分と心の中にあるはずであろう感情の間で、右に行きたい自分と左に行きたい自分の間で、両方に引っ張られて身がちぎれそうになり、駅のホームや帰りのタクシーで、何度も何度も発狂しそうになった。もしかしたら本当はとっくに叫んで投げ出していたのかもしれない。くそがって。
でもそうやって毎日過ごしていると、口に出している言葉と自分が言っていない言葉、考えていることと思ってもいないこと、どれが本当で、どれが違うのかよくわからなくなってくる。もっと頑張りたいです!と上司に声高に伝えることと、頑張りたくない、こんなことしたくない、と家で泣いている自分、どちらが考えていることだった?自由に1人で生きていたい!誰かと、いいや他でもない君と、一緒にいたい!心から望んでいることはいったいどっち?本当のことを確認するのにまたも時間がかかり、それだけでどっと疲れてしまう。本当のことを考えることは、生きる道と意味を探すことだと思うけれど、今日どうやって生きるのか、その方法だけ考えて、手に取った答えが毎日山のように積み重なっている。2024年になっても、何かが終わったり急激に改善したりすることもなく、これまでの地続きとして毎日を生きている。良くなっていることもあるし、悪化していることもある。365日頑張ったあと、366日目も頑張るのは大変で、変化する環境に慣れて、他人と、なにより自分自身と生きていくことには、決して小さくない努力と動力が必要だ。それでも出来る限りの最善を尽くして、生活を続けていくしかない。
今までは、生きてる時間の中でアイドルは私を助けてくれないという信念にも近い考えがあって、基本的に生活のほうがよっぽど大事で、切実だと思っていて、仕事も恋愛や家庭も、それらを上手くやってこそ、アイドルを楽しんで見ることが出来ると信じていた。アイドルを見ることも、上手くやれると。だけど2023年、そして今年に入ってから、「楽しさ」という救いが心の中で大きくなっていた。人に救われていいのかわからなかった。まぁ良くはないだろう。でも仕事や生活が上手くいかなくても、楽しくなくても、アイドルをきちんと楽しんでもいいんだと思える日もあって、その楽しさが仕事の糧になるほど、目の前は単純ではないけれど、これは現実じゃないけどもうひとつのリアルだと割り切って、楽しい自分を用意することも、それはそれで良いと思えるようになった。(ただ現実があまりにも切迫しすぎていて、アイドルを好きな自分すらも忘れそうになるときがある)
そんな時間の中に、ジェミンがいる。気がする。いやもう少し確実に、たぶん、いる。確かなことは何も言えないけれど、いるんだと思う。いるんだと思うことにする。しょうもないけれど切実な毎日の中に。「絶対にいる」と断言できないのは、アイドルの性格を読み取ったり、その言葉の真意を推し量ったりするのは本当に好きじゃないから。多くは言及したくない。だってこの場所からわかることなんてまず何もないし、何も知らないから。その言葉が嘘か本当か、何でわかるの。優しい?人思い?何もわからないでしょう。だけど、そう、わかることもある。それはそうだと思う。何もわからないけれど伝わるものがある。そうじゃないと、人はここまで誰かを好きになったり時間を楽しんだり、幸せな気持ちになったりはしない。だからわからなくても、伝わっているものも確かにあるんだと思う。あくまで一方的に享受しているものだとしても。
ソウルコン最終日のメントでジェミンが伝えた言葉が、ここまでの答えだと思った。ジェミンが、今を、この瞬間を、くれていると。今を一番幸せに生きるということが、自分を大切にすることが、どれほど大変で難しいことか、みんなよくわかっている。私は今の自分ですら幸せに、大切に思いやることが出来ないまま生きている。でも一方で確実に、ジェミンを観たコンサートは、dream show 3にいたその瞬間は、幸せがあった。これまでのコンサートも、もちろん。今ここにいる時間は幸せがあった。間違いないと思う。そう感じられたことがどれだけ有難く、感謝したいことなのか。それはコンサートであれ、音楽放送活動であれ、画報であれ、コンテンツ出演であれ、bubbleであれ、ジェミンがいないときにジェミンを考える何であれ、確実にジェミンから幸せを得ていて、その幸せが、私の生きている中にあり、何にも変えられないかけがえのないものだと言いたい。アイドルは私の人生を助けてはくれないけれど、幸せな時間を得ることも当然人生の一部分。救われると思いたいときもある。人生の優先順位は常に変わる。でもそもそもその優先が数字に表れているわけではなくて、全て1位、失いたくないもの、ということもある。優先なんてものはなくて、それぞれが補い合っているものなのかもしれないし。
「웃는 모습이 예쁜 아이로 기억되고 싶다」という言葉を聞くたびに、あの突き抜けた笑った顔を、どうやったら素敵じゃないと思えるのだろうかと考えてしまう。ペンライトの光の中で、星空の下で誰よりも輝く王子様。本当にあの瞬間、自分が宇宙にいる気がして、ジェミンしか見えなかった。見えているものと心の距離がおかしかった。綺麗だと思った。あまりにも眩しくて鮮烈だった。センター位置にセットをして、Smoothieと呟くまでの永遠にも思える間を、その空気を、その姿を、どうやったら忘れられるのか。私が忘れられないのは、私の世界を壊したのは、私のスターは、やっぱりジェミンだ。君が、壊したんだよ。君にとってステージがどういうものか、正直よくわからない。それでも1番好きな人たちであるメンバーと一緒に、楽しくて破顔していられる場所だと思いたい。それであの言葉はたぶん「この姿を、君は忘れるはずないよね?」っていう言い換えだと思っている。自分を大切にすることはとても難しくても、今を見せてくれる、今を信じさせてくれるジェミンとの、ある種のマナーというか、アイドルとファンの約束のようなものなんだと思う。今の幸福を感じる分、そこにすべての感情を乗っけてはいけない。真実とその理由探しをしない、その言葉が嘘か本当かを、アイドルに求めない。
私も大それたことは願わず、ジェミンが満足できること、幸せに思えることを見つけて、それで笑っていてくれればいいし、出来れば長く続けて欲しいと思う。見つけたものから野望を見出し、その道に進んだときは、必ず応援したいし、応援させて欲しい。魅力的な人がみせる強烈な熱意と切望ほど、強い光はないので。ジェミンを好きでいる本質的なところで言えば、NATIONソウル公演後の明け方に送ってきたbubbleが、正しい気がする。「길게 말 안해도 돼.너 사랑해.이게 정답이야」。結局、長く語ることに意味はない。そういう人。
先のことは本当にわからなくて、今週のことも、明日のこともわからなくて、今もまた身が裂けてしまいそう。誰も答えを持っていないから、やっぱり自分に問い続けないといけない。ただ始まってしまったからには、歩かないといけない。歩き続けないと。終わりはあるようで、どこにもない。未来の99%は起きないことだけれど、何かが起きることは確かだ。
いつも幸せをくれてありがとう。これは本当の気持ち。ジェミンのアイドル人生が、その先が、この先も幸せで、笑顔でいられますように。たぶん、そんなことを心配する必要もなく、大丈夫だろうけれど。
PS.ジェミンはものすごく優しいと、たまに信じたくなるよ。写真展で少しでもジェミンのことを知れたらいいと思う。