言葉にリズムがある人/ない人 もしくは リズムがのる時/のらない時 があるように感じる。
気の合う人というのは、リズムが合っていて、セッションするように会話が進む。
とある思想友達である友人と、思想は合うのに、微妙にリズムが合わないのだと気付いてしまった。同じ本を読んでいるのに、なんだか、共鳴ができない。
「あなたの文章はポエミーだ」ってかつて高校生の頃、ALTに言われて、ポエミーなことをネガティブなことだと思って生きてきた。
でも、ようやく「詩歩だから」って思えるようになった。「詩」だから。
詩は、意味とリズムを伴う。詩の肉体みたいなものが気になっている。
身体をテーマにしたものは、伊藤亜沙さんはじめ、人類学界隈では有名になってきている気がするけれど、わたしは、どちらかというと肉体が気になっているんだなと思った。
身体=body / 肉体=flesh
肉体からさまざまなものを読み解くと、改めて、概念上の脳的なものから移行できる気がしてくる。
年に数回、この肉体とリズムみたいなものが降りてくることがある。もしかすると、夏に近づくに連れて、やってくるのかもしれない。身体と言っていたもの、それは、肉体を意図していたのかもしれない。肉体の哲学。
わたしは、肉体を持つ詩である。
ずっと踊ることを赦したかった。