この感情を知ったのは、何年か前にあるドキュメンタリーで、娘を若くなくして何年も経つ父親が良くお墓参りに来る。お墓をきれいにしながら「どうしようもない気持ちになる」と言っていた。私にはない感情だ。
3.11の翌年から、会社で地震の時間にみんなで集まって黙祷をしましょうとなった。黙祷の時間、涙が止まらなくなってそれ以降会社で集まって黙祷するのには参加しなくなった。3.11のすぐ後に地震とは関係ないが父を亡くしてる。良い父だったが良い家族ではなかったがその辺の感情が入り混じっていだのだと思う。ほんのちょっと「どうしようもない気持ち」に似ているかもしれない。
先日、夜明けのすべてを見た。主人公達の上司が弟を亡くしてから、自助グループで話をする。身近な人を亡くして、受け入れられない感情が「どうしようもない気持ち」のひとつなのかな…と思った。
経験したい感情ではないけど、それを理解したい、と言う気持ちがある。
今日、また会社で黙祷があった。逃げるようにお隣の関係会社の所に行ったら、テレビがついてて黙祷の時間になった。また泣きそうになった。同情とかそんな事ではなく、ただただ純粋に悲しくなる。テレビから哀しみの洪水が押し寄せてくる。
どうしようもない気持ちとは多分違うけど、また来年の今日もこんな気持ちになるんだろうけど、忘れちゃいけない感情です。
タイトルと内容がうまく噛み合ってない気がするんだけど、まあ、書きたいように書くからいいのだ。