「男体のかっこよさ」コンプレックス

しきこ
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容姿/身体に関するコンプレックスを挙げればきりがないが、顔が地味、脚が太い、下腹がぽっこり出ている、など、すぐに思いつくものはどれも、化粧なりコーディネートなり筋トレなりでどうにかなるものだし、ある程度どうにかしている、あるいはどうにかなるとわかりつつも放置しているだけなので、どうでも良い。

最大にして恐らく唯一どうにもならないコンプレックスは、「女体を持って生まれてしまったこと」だ。性別違和を感じている訳ではない。私の性自認はがっつり「女」だし、ついでに言えば恋愛/性愛の対象は「男」で、ゴリゴリのヘテロセクシュアルでもある。それでも抱え続けているこの難儀さの根源がどこかといえば、やはり父親なのだと思う。

私の父はかっこいい。男前で、ハードボイルド小説と洋画(特にアメリカ映画)とジャズを好む。若い頃はバイクが好きだった。ファッションにお金は掛けないが、趣味が良く、良いものを長く使う。アメカジが好きで、身長は高くないが、シルエットがバランス良く「キマって」いる。恐らく靴の選び方が良い。インテリで、TVを観ながら「しきこ、これは〜〜なんだぞ」と補足説明をしてくれる。

物心付く前から父の趣味の洋画を見せられ(おたくの英才教育だ)、父を一番身近な男性として育ち、私にインストールされたのは「男の美学」であり、男体を持つことを前提とした「かっこよさ」の美意識だった。そんなものが実在するかはさておき、私の中では強固なものなのだ、という前提でお読みいただきたい。

私が初めて自分の意志でコーディネートを選んだのは中学のときだった。楠本まき先生の『kissxxxx』に登場するパンク少年・ミカミの真似だった。アランニットにダークカラーで細身のパンツ(黒ベタで表現されていた)のコーディネートがたいそう素敵で、手持ちの服でそれらしい組み合わせを真似たのだ。周囲にも私が意志を持って服を選んだことが伝わり、「しきちゃんがおしゃれに目覚めた」と一つ上の先輩に言われた。私のファッション人生は、好きな男性キャラクターの「概念コスプレ」から始まった。

さりとて、中学・高校と成長するにつれ、肉体は「少年」「男性」から乖離する。父のようなアメカジスタイルをすると、どうにも野暮ったくなる。「ボーイッシュ」というより「男児」になってしまうのだ。

大学進学のため上京し、ファッションの選択肢が拡がった私は、様々なテイストの服を着るようになった。いわゆる「ギャル服」もその一つだった。PEACH JOHNの下着を使っていて、その延長で、同社が売るアパレル製品も購入するようになったのだ。それらは「ギャル服」の文脈上にある商品だった。

身体のラインが出るストレッチ性の高い生地、大きく開いたデコルテ。限りなく白に近い淡いピンクに薔薇のプリントがされたTシャツ。自分がこんな「女っぽい」服を着て良いものかと、緊張や後ろめたさを抱えながらの着用だったが、鏡の中の私は、それまでの人生でどの服を着たときよりも「強く」見えた。

「女体であること」を強調した方が、私の身体は強く、かっこよく、垢抜けて見える。それは発見であり、福音であり、絶望であった。私は男体を所有することを前提とした「かっこよさ」と決別し、自分が女の身体を持っていることを受け入れなければいけない。

以降、自分の美意識の範囲内で、ボディラインや「肌面積」を出すようにしている。別に嫌々ながらや諦めでやっている訳ではない。これはこれで楽しい。似合うからだ。鏡の中の自分が似合うものを身に着けて「キマって」いるのを見るのは、最高に面白い。

しかしそれはそれとして、「男体を持つがゆえのかっこよさ」を体現している男性を見ると、ときめきつつも、嫉妬や羨望、恨めしさの感情が先駆けて湧く。うっとりと見とれながら「ちくしょう、男前め、この野郎」という気持ちを1〜2cm程度抱えている。全くもって未練がましい話だが、自分がそれを体現できなかったことを、今でも悔しいと感じている。「かっこいいお父さんのかっこいい息子」になれなかったことを悔やんでいる。

この数ヶ月で、自分の服装が「好み/理想の男の女体化」だな、と気づいてきた。

恋愛対象ではない。自分が男に生まれていたら、というIFでもない。アニムスとでも言おうか。実在/非実在問わず、今まで私が出逢った男たちに対して抱いた「好きだ」「なりたい」と思った要素を煮溶かして、女体の型に流し込んで、身にまとっている。

出口やゴールはわからない。果たして脱出口や「あがり」があるのかも。それでも、もしどうにかする道、どうにかなる日が来るのだとしたら、それはファッションによってもたらされるはずだ。私の肌の上で、私と私の身体とを和解させる服を見つけたら、その日が一つ、私が自分の人生に勝利した日となるのかもしれない。

@shikiko
夜中に書く寝言のような文章、もっぱら衣食住の衣のこと