20年近く前のことである。
当時私は大学生で、代官山のセレクトショップのお世話になっていた。
女性のオーナーが一人で切り盛りしている店だった。
3000円程度のいわゆる「プチプラ服」も扱っていたが、2万円程度の品物も多くあった。
前者はともかく、後者に関しては、当時の私ではすぐに支払えないこともままあった。
そういったときには「取り置き」をお願いしていた。
このオーナーは、取り置き品をレジの後ろ、他の客からも見えるところに吊るしていた。
あるとき、バイト代が入ったら受け取りに来るつもりで、カットソーの取り置きをお願いした。
1週間か10日ほどして、オーナーからメールが来た。
私が取り置きをお願いしたカットソーを売ってしまったという謝罪の連絡だった。
その店は私のような学生だけでなく、富裕層の顧客も複数いた。
そのうちの一人がレジの後ろにあったそのカットソーに目を留め、取り置き品だという説明をしたにもかかわらず、食い下がられ、「VIP顧客」であったため、売らざるをえなかったということだった。
メールには理由と経緯が切々と説明されていたが、詳らかに書かれれば書かれるほど、私は惨めな気持ちになった。
すぐに支払える手持ちの金がないというのは、こう扱われても仕方ないことなのだ、と思い知らされた。
今思えば、取り置き品を他の客から見えるところに置いておくなよ、とか、取り置き期限を設けろよ、と「ツッコミどころ」は様々あるのだが、若く、他の店を多く知らなかったこともあり、この出来事は私の意識に深く刻まれた。
長いこと忘れていた感覚だったが、ハイブランド店を訪れるようになり、自分が「金払いの渋い客」であることに後ろめたさを覚えるようになった。
もちろんそんなことを考える必要はないし、各ブランドのスタッフたちが「遊びに来てくださるだけでも嬉しいんですよ」と掛けてくれる言葉に嘘は無いだろう。
名古屋という土地柄もあり、彼らは他の客相手に売上を上げまくっていて、私が何も買わなくても痛くも痒くもないのも理解している。
だが、だからこそなおさら、私の対応で時間を割かせてしまうことに躊躇いがある。
私の接客をしている時間を他の客に充てていれば、この人は売上実績を上げられたんじゃないか、とつい考えてしまう。
どうして思い出したかといえば、今日、とあるブランドの路面店に寄ったところ、担当してもらっているスタッフが他の客の対応をしていたからだ。
遠くから目配せしてくれた彼女の代わりに、私の元に来てくれたスタッフは、接客中の客も彼女の担当顧客であるため、他のスタッフとの交代ができない、と説明してくれた。
接客中の相手は、全身ブランド物で固めた、如何にも金払いの良さそうな中高年夫婦だった。
店内で待つよう促されたが、私としても特に目当ての品があった訳でもなく、近況報告と相談の体をした冷やかしのつもりだったので、また余裕のあるタイミングを見て再訪すると断り、退店した。
それだけのことなのだが、低気圧の乱高下と生理前の不調と重い荷物と慣れないコンタクトレンズによる疲労とが重なり、妙に気分が暗く、帰路の電車内で上述の出来事を思い出し、涙が流れてしまった。
身の丈に合わない場所に出入りしてしまっている自責の念がある。
自分の経済力を正しく把握し、無理な出費さえしなければ良い訳で、消極的な感情を抱く必要は毛頭ないのだが。
心の中でそれを切り分けるのが難しい。向き合うべき人生の課題、心に抱えている問題が多すぎる。
まぁこれからも行くけどね、ハイブランド店!