モンハンは狩猟なのか乱獲なのかということ

おそるおそる手を出した『モンスターハンターワイルズ』を楽しくやっている。

なぜ「おそるおそる」なのか。

実は、過去2回にわたってモンハンは挫折している。最初は15年以上前のPlayStation Portable向けの何かの作品で、「なんで戦闘中に肉を焼かなきゃいけないのか」という理由で3時間で挫折した。今思えば戦闘前に食べておけばいいのだろうけど、当時はわからずに挫折した。

次は4年前、Switch向けの『モンスターハンターライズ』。これだけシリーズが続いているんだから面白いんだろうと思ったけど、ある理由から4時間で挫折した。それはまた後で。

で、今の『モンスターハンターワイルズ』。これはしっかりハマっている。もう50時間くらいプレイしている。ちなみに武器は双剣。立体機動装置には夢がある。


さて、過去2回にわたってわずか数時間で挫折したモンハン、なぜ今回はこんなにもプレイできているのか。それは「モンスターを倒す理由が正当化されている」からだ。

モンハンワイルズは、ストーリーが主軸になっている。レビューを見るとストーリー重視には意見が分かれているらしいが、個人的にはストーリーがあるからこそモンスターを倒そう、という気が湧いてきたのがすごく大きい。

Switchのモンハンライズに挫折した理由は、「なぜ穏やかに暮らしているモンスターをわざわざ倒すのか」と思ってしまったからだ。集会所みたいなところでクエストを受注して、狩りに行く。「何も考えずデッカいモンスターを倒す爽快感」がモンハンの魅力なのは理解できるけど、理解することと受け入れることはまた違う。

クエストの対象となったモンスターは大自然の中で生きていて、こちらから手を出さなければ人間に危害を加えることはない。なのに、なぜ狩る必要があるのだろう。

これは狩猟なのか。それとも乱獲なのか。

のんびり暮らしているモンスターの命を奪う権利が、自分にはあるのか。そう疑問が生じた瞬間、モンスターを狩ることができなくなった。そしてモンハンライズに挫折した。人間のエゴに絶望した、と言い換えられるかもしれない。


今回のモンハンワイルズは、オープニングからストーリーが展開して、なぜモンスターを狩る必要があるのか、共存できる可能性がないか、絶妙なバランスで人々が模索しているのがいい。どうしてもという事態になって、初めて狩猟許可が降りる。現実世界で住宅街にやってきたクマを駆除するのに似ている。

こじつけであることはわかっている。今でも、何回か追い詰めて逃げた先で鼻ちょうちん作って寝ているモンスターに奇襲をかけるのは躊躇する。

でも、建前であったとしても、ストーリーがあることで乱獲や虐待ではなく、やむをえない駆除や狩猟ということになってモンスターを倒す理由があることが前向きにプレイできる心地よさにつながっている、私の場合は。

もう少し話を広げられそうな気もするけど、一旦ここまで。

@shimasho
島田祥輔(しまだしょうすけ)という名前でサイエンスを書く人をやっています。ここではショートエッセイのようなものを書きます。「読んだよー」くらいでもいいので感想レターを送ってもらえると喜びます。 www.shimasho.work