インスタもXもネット記事のしずかな世界のはずだった。
インスタで下にスクロールすると大音量の音楽が流れ、一瞬の時間を切り取ったしずかな写真から、主張の強い動画が流れる。写真は、自分から写真に飛び込んでいく感覚。でも動画か、向こうからこちらに迫ってくる感じ。
Xも、人々の日常を切り取ったテキストの世界から、写真や動画で人々の目を奪い、表示回数と拡散がすべての世界となってしまった。
ネット記事も、本文を見せたいのか広告を見せたいのか、よくわからなくなってきた。
動画が悪いのではない。YouTubeは僕も見る。でも、YouTubeは動画に特化しているから、動画を見るという覚悟ができているのだ。
そう、混ざるのが僕には耐えられないのかもしれない。僕は家でラジオや音楽やポッドキャストやYouTubeを流しながらお仕事をしているけど、開けっぱなしの窓から聞こえてくる車の音が我慢できない。窓を閉めるか、少々耳を圧迫するけどヘッドフォンをする。
しずかな世界で過ごしたかった、ただそれだけなのかもしれない。
しずかなテキストの前で、しずかな写真の前で、静的な世界で生きたい。
そう思って初めて、しずかなインターネットに向き合った。