人格を切り分けるソーシャルメディアで人は分かち合えるのかということ

最近、YouTubeでいろんな人がサブチャンネルをつくるようになってきた。

いろんなチャンネルが出てくるとそのぶん登録しないといけなくて面倒だと自分は思っているし、サブチャンネルなしで1つのチャンネルの中でいろんなものを見られるのが面白いところだと思っていたけど、YouTubeをやっている人からすると厄介な問題があるらしい。

僕はYouTubeのアルゴリズムや収益に詳しくないから確信をもっては書けないという前提があるけど、どうやらサブチャンネルをつくる理由は次のようだ。

  • ユーザーのホームのおすすめに表示される基準として、純粋なチャンネル登録者数だけでなく、チャンネル内の再生回数、再生時間、いいね数などが総合判定される

  • 1つのチャンネルでいろんなことをやると、ジャンル目当ての人にとっては再生する動画と再生しない動画が出てくる。

  • すると、チャンネル登録者数を分母としたときの再生回数という分子が小さくなる。

  • その結果、YouTubeのアルゴリズムは「このチャンネルは登録者数の割に見られていない」「他のユーザーに見せる価値なし」と判断して、おすすめに表示されにくくなる

つまり、何かのテーマに特化することでユーザーが満足する割合を上げ、おすすめに表示されやすくするために、テーマを分けたサブチャンネルをつくる、というのが理由らしい。


これはYouTubeに限らず、いろんなソーシャルメディアを始めるときに自称ソーシャルメディアアドバイザーみたいな人がよく言っている。つまり、ソーシャルメディアでは個人をすべて出すのではなく、1つのテーマに特化してそのテーマ以外は書かない、いろんなことを書きたいのならテーマごとにアカウントをつくれ、ということだ。

1つのテーマに特化することで、ソーシャルメディアのアルゴリズムに対して「このアカウントはこのテーマでやっている」「だからこのテーマに興味がありそうなユーザーにおすすめしよう」という流れにのることができるらしい。

つまりこれは、「人格を切り分ける」ようなものだ。

この属性のユーザーにはこのアカウントを、別の属性のユーザーには別のアカウントをというように、2つのアカウントは1人の人間が操っているんだけど、属性ごとにアカウントを切り分けるということになる。

「切り替える」どころではない、「切り分ける」だ。

ユーザーにとってはフォローしているアカウントがすべてであり、その人の別アカウントには興味がない、いや、そもそも別アカウントの存在すら認識していない。だからアカウントを「替える」のではなく「分けて」いるのだ。


果たして、それは人間らしいのか。

人間も、ある程度は人格や性格を「切り替えて」いる。自宅と職場と友人の前では立ち振る舞いは変わるだろうし、不自然なことではない。人格や性格は1つに定まったものではなくグラデーションのようなものであり、環境に応じてグラデーションの中で適切な性格を表面に出していく。

しかし、アカウントを「切り分ける」ソーシャルメディアはそうではない。グラデーションで行き来することを許さず。「ここ」と決めた場所から動かないことをアルゴリズムから求められている。

だから、「ここ」と決めた場所に立ち続けているアカウントからは人間らしさが感じられず、「運用アカウント」のような印象を受けるのだろう。

人格を「切り分けた」ソーシャルメディアで人間らしい振る舞いができないのなら、人間らしい分かち合いがソーシャルメディアで見られないのも無理はないのかもしれない。ソーシャルメディアのアルゴリズムが「切り分け」を推奨しており、「分かち合い」を求めていないからだ。

絶望するよね。だったら、しずかに生きるしかない。

@shimasho
島田祥輔(しまだしょうすけ)という名前でサイエンスを書く人をやっています。ここではショートエッセイのようなものを書きます。「読んだよー」くらいでもいいので感想レターを送ってもらえると喜びます。 www.shimasho.work