外の救急車が鳴り響く家の中で
救急車の音はどうも不安を感じるが,その反面何かがあるのではないかという危機感をあおるような,一種ワクワクのようなものを感じる.しかし,ひとたびなぜ救急車が鳴っているかを考えてみると人が死の淵にあるということが感じられる.一見単純のように見える「認知」も深く考えてみれば結構面白い要素がある.まず第一に,我々はどうして「救急車のサイン=人が倒れている」という思考を無意識的にするのかということである.これは経験論的だとか,これまでの教育だとかそういう話ではない.人間の想像力の議論に近い.単純な周波数の重なりからどうしてここまで想像できるのだろうか.自分が救急車で搬送されたわけでもない,誰かが救急車で搬送されている様子をその場で体感した経験もない.しかしなぜ,我々は人が倒れていると感じるのだろうか.私は哲学者でも何でもないので新しい論考をというよりはただ感じたことをつらつらと述べながら思考を整理するだけなのだが.救急車の音は「960 Hz と 770 Hz を 1.3 秒周期で 繰り返す音」という音らしい.つまりだいたい「ソ」の音と「シ」の音を1.3秒周期で鳴らすと救急車っぽいのだ.ちょっと話が飛ぶがここで感じたのは人間の生活と警報の関係性である.人間の知覚を考えたとき,どうしてもビジュアル的な要素が結構強くなってしまう気がしている.しかし,空襲の時とか津波の時は音のほうがぞっとする.文字に「ニゲロ」と書いているのもかなりぞっとするけれども,あの恐怖感をあおるような不協和音はどうしても怖い.ホラーゲームだってそうだ.びっくりさせるときの音は不気味でしょうがない.人間はどうしてもこれまで視覚依存というか,多くの視覚情報を頼りにしてきた気がする.しかし,速報性がありかつ簡単に情報を伝えることができる,要するに人間が一瞬で処理をすることのできる信号は光の信号ではなく,音の信号ではないのだろうかという風に感じた.しかしこれはなぜなのだろうか.
視覚刺激に対する単純反応時間は、聴覚刺激や触覚刺激に対するものより長い
こんな話が合った.なるほど,視覚より聴覚のほうが長いのか.Claudeさんは,「聴覚刺激に対する反応時間は、視覚刺激に対するそれよりも短いことが知られています。これは脳への伝達経路の違いによるものです。聴覚情報は脳幹を経由して大脳皮質に到達するのに対し、視覚情報は網膜から外側膝状体を経由して大脳皮質に至るため、より多くの中継点を通ることになります。」と言っている.ハルシネーションもあるだろうが,そうなのだろう.聴覚刺激は注意を引き付ける力が強い。これは、音が空間的に拡散する性質を持つためだ。視覚情報は対象物に目を向けなければ入力されないが、音は意図せずとも耳に入ってくる。
こんな要素を考えながら,どうやって世界を認識するかを考えて,それを逆手にとって展示に生かしてみたい.