身銭を切る先を間違えないようにする

shinkufencer
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公開:2025/9/23

以下のような一連の流れがあった。

概ね同意なのだが、難しい話がある。それは身銭を切るに値する仕事かどうかということの部分だ。下の文章では以下のように言及されている。

人生は仕事だけではない。身銭を切ることと、自己犠牲は違う。エンジニアの努力を正当に評価しない経営者の下で働いているなら、構造的に身銭を切っても報われない環境にいるなら、無理をする必要はない。自分の健康と人生を守ることが最優先だ。

「自己犠牲で動く」と「身銭を切る行為」はすごく判断が難しい。

記事の中では「努力を正当に評価しない」というような一例が挙げられているが、いわゆるやりがい搾取のような環境の下では称賛はされて給与は上がらないというようなケースがある。そのような場合は組織内で褒め称えられてしまうので正当に評価されていると誤認する。


また「自己犠牲」「身銭を切る」どちらの行為であれ、自分の可処分時間を賭けたりする行為なので、一定の危険性が伴う。

真面目な人ほどその場を打開することを考えるので、これらの行為に走りがちである。そしてもとの文章の なぜ身銭を切るべきなのかのパート にある通り何かしらの学びなり成長が発生する。そのため変なフィードバックサイクルが働き「自分の可処分時間を捻出することによるふんばりは自己成長につながる」というような状態が生まれたりする。このサイクルが極限まで回ると最後は個人が燃え尽きたり壊れたりしてしまう。

特にメンタルにおいては一度壊すともとには戻りにくい。(いわゆる医療用語文脈の不可逆 )そのため、ここには大きく気を使う必要がある。


そのため「身銭を切る意義があるか」をちゃんと考えて置く必要があると改めて感じました。観点としては以下のような内容。

  • その行為は自身に大きな利益のある行動なのかちゃんと見極める

  • その行為により自分が壊れるリスクがないかをちゃんと見極める

なにか行動をすると少なからず得るものはあるので、利益は何かしら発生するのですが、ここで考えるべきは労力に見合ったリターンかどうかを考えるということが肝要かなと思いました。

自分の時間は自分を大切にしてくれる人や自分が良いと思っているものに極力使いましょう。

@shinkufencer
日々の思考の欠片