友人から届いたLINEが、どう考えても怒気をふくんだものだった。
こちらが怒られる理由がまったく見当たらず「なんでそんなにキレられてるのか謎なんだけど」とファイティングポーズでLINEを返したら、すぐに「まって、ごめん。1ミリもキレてない…!」と返信が。
どうやら誤解だったらしい。いつもは砕けたことばを連ねる友人が、気をつかうべく書いた敬語が、そんな誤解を招いたとのことだった。
最近、プライベートでも仕事でも、テキストコミュニケーションによって疲弊する機会に見舞われている。悪意がなく送られたことばに、深読みをしたり、とらえ方を誤ったりして、不快なくらいに傷つくことばっかりだ。
ことばを仕事にしている以上、我々はおそらくあらゆる観点でことばに対して繊細でなければならない。選ぶことば、語尾のニュアンス、使われる絵文字、その要素は挙げればキリがない。
けれども多くの人はそこまで考えたうえでことばを記しちゃいないわけだ。解像度の違い──この場合は高いからいいというわけではなく──によって生まれるこうした差分は、たいていの場合考えすぎる側の人間が損をする。
だからこそ、昨今話題の繊細さん向けの書籍として「鈍感力」だなんてフレーズを冠したものが発売され、そこそこに売れていく。
思考力、感受性、そういった類のものは、わたしにとって文筆家生命をゆるがす大切なものだと自覚している。いっぽうで、それらが日々の生活に与えるダメージは大きい。
わたしは、今日もそんなことをグルグルと考えながら苦しむことを日課としている。