ここ数日、X(未だにTwitterと呼びたい衝動をおさえながら)でやたら目にしてしまう投稿がある。とある炎上したポストにまつわるもので、特定の店や人を糾弾するような内容のものだ。
ことの発端は、とある人が投稿した「お寿司屋さんの大将に殴られかけた」という趣旨のポストで、それが波紋を呼び、さきほど見かけたときは投稿から5日間で3万件の引用がなされていた。なかなか凄まじい話だ。
その一件に関する事実とかには正直興味がない。が、その炎上の様子を見ているなかで、「人は自分の経験や価値観に基づいた見え方しかできないのだなあ」と改めて感じるに至った。
というのも、まあ賛否両論あるであろうそのポストに寄せられたリプライや引用を見てみると、憶測やら決めつけやら、素っ頓狂な断定やらがなかなかにあふれているのだ。まるで、そういうアミューズメントパークかと見紛うほどに。
そのとき、現場にいた人間にさえ、さまざまな価値観があり、立場や感情が違えば同じ状況をどう捉えるかだって異なる。それなのに、その場にいるわけもない人間が、事実だの真実だと、判断できると思うほうがどうかしている。司法の人間でさえむずかしいのだから。
SNS内でのそんな論争、いつだってどこだって起きているのだから、そういうもんだと割り切ってしまえば大したことはないのだが、今回ばかりは毎日毎日流れてくるので、さすがにいろいろと考えざるを得なかった。
この話を書き始めたとき、わたし自身も「人の数だけある価値観」に振り回されたことがあるなあと思い返した。昔、よく一緒に仕事をしていた人とのあいだであったできごとだ。
その人には、わたしと同い年の弟がいて、たまたま仕事現場に弟が来てくれたことをきっかけに、弟とも仲良くなった。
彼はカフェで働いていたので、職場に遊びにいったり、わたしの家にコーヒーを淹れにきてくれたりもしていて、普通に仲の良い友人として付き合っていた。なのだが、それをよく思わなかった仕事仲間は、わたしにこう言い放ったのだ。
「しのさん、ストーカーなの? 弟に近づかないで!」
めちゃくちゃびっくりしたし、もうなんか思考回路がわからなくて、頭には「?」のオンパレード。でも、その人の感覚値では、わたしは勝手にストーカーになったし、弟さんにつきまとっている人になったわけだ(ちなみに、弟本人も混乱していた)。
すごく昔の話だし、その弟とはいろいろと時を経て今また仲良くしているので、文句を言いたいわけではないのだけれど。まあ、そういうこともある。
立場や価値観が違えば、目の前で起きていることですら捉え方は変わる。その前後にある奥行きや、人が持っているベースの価値観、意思、そういったものが組み込まれて、人それぞれの事実が成立していくのだろう。
そのすべてに思いを馳せることは正直できないし、わたしもわたしなりの価値観によって偏ったものの見方をしてしまうことがきっとある。
けれども、「フェアは存在しにくい」ということは覚えておきたいし、人の数だけある見え方のなかで、共通点や相違点を探りながらコミュニケーションをとれる人間ではありたいなと思うようになった。
すべてわかりあうことはできなくても、わかるようになるための努力だけでもできたら。もう少し、今の世の中は、生きやすくなるんじゃないかと思うことが少なくない。