ドラマ『silent』へのハマり方が尋常じゃない。一気に全話を観て、そのままの流れで鑑賞記まで書いた人間なので、まあハマりましたねっていう気持ちであった。公開から1年以上経過して鑑賞した周回遅れのクセに、なんて生意気な。
ただ、自分の性格の中ですごく好きなところが唯一あって、ハマったならちゃんとハマるところだと思う。世の中が「いい作品だよね」と反応するだけなのなら、わたしはその視点から一歩踏み込んで、学びにしようと取り組む。
今回でいうと、わかりやすい話だが、手話がそうだった。
手話というものを、ろう者の人が言語だと思っていた当時のわたしにとって、「手話はコミュニケーションの手段でしかなかった。言葉の意味を理解することと、相手の想いが分かるってことは違った。(10話より)」という言葉が与えた衝撃は、果てしなく大きなものだった。
手話も、一つのコミュニケーション言語であり、それを使って、どうコミュニケーションを取るのか。そこに、人間らしさがあり、重要性があると知った。その気付きを得たとき、言葉を取り扱う人間の一人として、知りたいと思うようになった。
それからというもの、実はわたしはずっと手話を学べる場所を探していた。知り合いに手話を使える人がいたので「どう学ぶのがおすすめ?」と尋ねてみたところ、彼女は「結局言語だからね。対話空間があるところを探しなね」と教えてくれた。
いくつか調べたなかで、もっとも有意義に学ぶことができそうなのは、わたしの暮らしている世田谷区が開催している手話教室だった。ある程度の人数が揃うので対話するための手話が扱える点、それと、週に1度&約1年間とみっちり学べる点。この2つが興味を引いた。
YouTubeや書籍などで気軽に学ぶことはできるけれど、やっぱり手話は対話用の言語。コミュニケーションをとってなんぼだ。この考え方は、英語とかフランス語とかの他言語と変わらない。
そんなわけで、わたしは3日前に募集開始されたばかりの令和6年度の手話教室受講に応募してしまったわけである。応募者が多い場合は抽選だそうなので確約ではないけれど、志望動機はきちんと書いた。意欲はしっかり伝えた。
あとは、機会をもらえるよう願って待つのみである。もちろん落選したとて学ぶことに変わりないので大した問題ではないけれど、手話を学びたいと願う人同士の集いに参加できるのなら、それに越したことはないわけで。
新しい学びに向かう今、ワクワクした気持ちが止まらない。そんな感じで浮かれた自分の存在を、もう一人の自分は「しめしめ」と、微笑ましく眺めているようである。