語弊を恐れずにいえば、わたしは病めば病むほどに文章を書けるようになるタイプの人間だなあと思う。
この「病む」というのは言葉どおりの意味ではなく、考えごとがめちゃくちゃ多いときとか、それゆえ殻にこもっているときとかの、いわゆる“内省モード”のことを指している。
アウトプットしきれていない思考があったり、まだうまく表現しきれていない煮込み途中の話題があったりするとき、それを文章という表現手法で外に逃がす。だから、わたしが文章を書けるときは、そういう自分が内側に入っているターンのときなのだろう。
昔、尊敬している文筆家の方が「書くことはセラピー」と言っていたことがあるが、それまさに。書くことによって、頭のなかを整理し、自己を鎮めている。
そう考えると、わたしにとって文章を書ける日とは、ぼちぼち気持ちが下向きになっているときなのだ。沈みかけている思考や感情を、文章によって持ち上げていく自分の様をみていると、「元気であればあるほど、文章が書けなくなるタイプの人間だなあ」と察するようになった。
自分の不幸が、飯の種。アア、なんという自給自足。
今回、不運にもやや時期外れのコロナになったわたしは、すこぶる体調の悪い日々を過ごしている。ただ同時にこの時期はめちゃくちゃ時間が余っており、書きたきゃいくらでも書けるという、フィーバータイムを得ている。
「元気であればあるほど、文章が書けなくなるタイプの人間」としては、このタイミングを逃すまいと思っていたのだが、実際はどうかというと、発熱したその日から、まったくといっていいほど頭に文章が浮かんでこない。
文章を書きたいという意欲はたしかにあるが、なにを、どう書いたらいいのか、思考が進まずそれ以上のアウトプットにならないのだ。まるで、文章をはじめて書いた日と同じような感覚。「あれ、文章ってどう書いていたんだっけ」と、これまでの自分のアウトプットが嘘のような状況に、呆然とすらしている。
そうして気づいた。たしかに、自分のなかに眠っている感情を言葉にするには、心の調和がとれていないくらいのほうがちょうどいい。ただし、そういう状態から感傷に浸り、文章を編み出し、書き続けるためには、シンプルに体力が必要なのだ。
つまり、「めちゃくちゃ体力がありふれているのに、ややネガティブな状態」が、わたしにとって文章を書くのに一番いい塩梅なのだろう。むっず。どういう状況よ、それ。
この文章を書いている今も、本調子などではまったくなく、喉の痛みと鼻詰まりに耐え忍んでいるが、まあ生産性が悪いしクリエイティビティが低い。気持ちのネガティブさはこのくらいでちょうどいいだろうから、思考が体調にもっていかれない程度にはニュートラルに戻りたいものである。
そんなわけで、もう少し続くであろう、文筆のリハビリ期間。もしよろしければ、飽きない程度にお付き合いください。