
無事、葬儀が終わった。遺骨になった祖父がやっと自宅に戻ったことを切なく思いつつ、嬉しくも思うような日になった。
思っていたよりもずっとずっと多くの人が見送りにきてくれて、素晴らしい戒名もいただいて。追悼といいつつ、本当に涙ばかりの時間になってしまったけれど、祖父が無事に旅立てることをどうかどうかと願っている。
約一ヶ月半、なにも飲まず食わずだった祖父。相当頑張っていたようで、遺骨が驚くほど少なかった。周りの親戚のみなさんは「あら、こんなに少なくて……」と悲しい表情だったが、老骨に鞭打ちながらも最後の最後まで生き抜こうとしていた証なのだと、わたしには感じられた。やっぱり本当に強い人だった。
それと、今日に向けて、わたしは祖父へ手紙を書いた。案外書き始めると、なにを書いたらいいのかわからず、ダラダラと書いてしまったのだが、ありったけの思いを書いたのでここに記しておく。
じいちゃんへ
87年間、頑張って生きたね。
詩乃は28年間しか、じいとの思い出をつくれていないけれど、それでも本当にたくさんの時間を一緒に過ごしてもらったよね。
それこそ、小学生のときは夏、冬、春、すべての長期休みで東京にいたから、ずっとじいと一緒にいた気がするな。
春の七草とか、耳にタコができるほど教えてもらったと思うし、夏はプールに行って、花やしきで遊んでプラネタリウムにも出かけたよね。花札を教えてくれたのもじいちゃんだったね。
お正月には甘酒を飲んで、自転車でも七福神巡りしてさ、じいとの思い出はほとんどがおでかけだ。毎日のように北公園にも行ったもんね。
詩乃が今、アクティブに生きているのはじいが詩乃にたくさんの外の景色を見せてくれたからなんだろうなって思ってるよ。あとは、お風呂もたくさん入ったねえ。
それから、今日ね、じいのフィルムカメラをカメラ屋さんの修理に出してきたよ。SR-7は修理ができるみたい!
良いレンズですねー、ってROKKORのレンズもほめてもらえて嬉しかったよ。修理から返ってきたらたくさん使うね。大切にしていた宝物をありがとう。
じいちゃんは、おでかけと写真と仕事と家族が好きな人だったよね。詩乃も、おんなじなんだよ!
考えてみたら、詩乃はじいの影響でサイゼリヤとかも好きになったしさ。実はじいから教わったことが詩乃にとっての礎なのかもしれないね。
じいは詩乃と過ごす時間、楽しんでた?
ここ数年はなかなかたくさん話せなかったけれど、変わらず詩乃を愛してくれてた?
その答えは「もちろん!」だったら嬉しいな。詩乃はどんなときでも愛してたよ。
もちろん、これからもずっと大好きだからね。それじゃあ、またね。また会おうね。
2023.12.14 詩乃
どんな感情かといわれると、まだまだ受け入れきれるものではない。けれども、祖父が笑顔でいてくれるよう、わたしは全力で日々を歩むしかないのだろう。
彼がくれた優しさ、人徳、義理堅さ、そういったものを抱いて、強くしなやかな人間になりたいのである。
今日、お経を読んでくれたお坊さんは「みなさんの元気な姿がなによりの供養」とおっしゃっていた。まだまだ笑顔で生きるだなんてという気持ちではあるが、いつだって朗らかに笑っていた祖父のように、わたしも誰かを照らせる人間になれるよう精進していく心づもりだ。
たくさんの方の温かい心遣いをいただいた数日間だった。感謝の意を示しながら、兎にも角にもすり減らした精神と体力を回復できるよう自愛にも努めていこうと思っている。