2768分、このしずかなインターネットをはじめてから、わたしの文章を読むのに人が使ってくれた時間だ。約46時間に相当する。
わたしのこのアカウントには購読者が44名いるので、極端な単純計算をすると、一人あたり1時間はこの野暮な文章を読んでくださっていることになる。本当にありがたい限りだ。
あの、いつもはちゃんと伝えきれていないかもしれませんが、心からうれしく思っています。本当にいつもありがとうございます。いただくメッセージも励みになっています。
アカウントのキャプションでもこう書いている通り、ここは詩乃史上、もっともゆるい文章を書くための場として機能させている。肩肘張らず、思考中も検討中も屈託なく載せることを目的としているからだ。
だから、有益だと期待しないでくれと思っているし、大逸れた期待の念を持って読むのはおすすめしない。
ただ、ただ一つ思うのは、そうはいってもわたしは読み物をつくることを生業としている人間だし、少なくとも世の中の46時間を奪っているわけではあって。
その時間に見合うようなコンテンツではありたいと思いながら、こういう文章を書いている。大したことはできないものの、最低限の責任は果たしたいというわけだ。
この世の中、推しのアイドルに2時間会うためのチケットがたった1万円で手に入ってしまう時代だ。そう思うと、いったい我々はどれほど価値あるものをつくれば、彼らに恥じらいなくクリエイターを名乗れるのか。
アイドルと張りあってどうするのだろうとは思いつつ、可処分時間の奪いあいによって成り立っているのがエンターテインメントの世界なのだから、人の時間をいただくことの責任は等しく大きい。
決して、強いプレッシャーのなかで書くような文章をここに置くつもりはない。けれども、せめて読みにきてくれているみなさん方が「まじで時間の無駄だったわ」と思わないようなものは、少なくともつくっていたいわけで。
そのための取り決めが、遊びにきてもらえるたびに新しさが生まれるよう毎日更新すること。そして、どんなテーマでもいいけれど、一つの作品として機能すると判断できるレベルに達しているものをつくること。これらは、自分の約束ごととして持ち続けている。
とはいえ、作品だといえるほどのもの、それが一体どれほどのコンテンツなのか、という問いに対しては、今日もうんうんと唸っているばかりである。
今のところ、書きたいテーマは尽きないので日々の思考を訓練的に言葉に残してはいるが、これはどれほどの需要があるのか。残念ながら定かではない。
もし、読みたいもの、書いてほしいトピック、そういうものがあればレターとかで送ってください。それに応えることが「正」なのかはわからないけれど、取り組みの一つとして、いただいたメッセージを素直に受け取らせてもらうかもしれません。