先日話した、とあるおもしろい人の話の続編だ。
彼の話、もう何度か登場しているくらいに尽きることがなくて、心のエンタメとしてわたしを笑かしてくれたり、逆なでしてくれたりと、まあいろいろ作用している。今回は、逆なで側の話を。
このおにいさん、テニスがめっぽう強い人でして、よく市民大会とかにも出場していたという人間だ。なのだが、ここ数年はなかなか試合をしていないし、久しぶりに出場してみたいとのことで、スクールで開催された男子シングルスの大会にエントリーをしていた。
その参加自体は、わたしが「試しに出てみたら?」と背中を押したところからはじまっており、彼はやる気を出すためか「もし、もしも優勝したら、おいしいカニかウニ、ごちそうして!」と、年下であるわたしにめちゃくちゃねだってきていた。かわいい一面を見せてくるから侮れない人間である。
まあ、正直、どうなるのかわからなかったわたしは、彼がそれで頑張れるならと「まあ、いいっすよ」と二つ返事。試合の日も時間が空いていたので、少しだけ応援に駆けつけた。
その結果、どうなったのかというと、ものの見事に優勝を決めてしまったわけである。彼は強かった。素晴らしい話だ。
後日、彼は例の海鮮をごちそうする話を持ちかけ、いろいろと店を探したらしい。そのときのやりとりがこちらだ。
都内で海鮮のおいしい店を探すのは、結構むずかしいものがある。さらにいうと、彼は「ウニでごはんが見えなくなるくらいの丼がいい!」と重ねて難しいオーダーを入れてきていた。
その過程ですでにザラついていたわたしは「詩乃ちゃん、いいところ探して?」というわがままに「無理です。自分で探してくださいね?」と容赦ないノーを突きつけたわけだ。
そして、このやりとりのあと、わたしの逆鱗にふれる。
なぜか自分でおいしそうだからと探した候補を自ら却下し、さらなる候補を探していた彼なのだが、次候補として選定された店の食べログを見てびっくり。予算「3万円〜(一人あたり)」とある。
うん、そうですよね。世田谷区内でおいしい海鮮を探したら、当たり前にそういうことになるんですよ。世田谷区に住んでいる、働いている人間なら、誰でもわかるのよ。
彼の優勝が、頑張って掴み取ったものであることには間違いない。それは、そう。なんだけれども、そもそも論でわたしはそこまで大層なものをごちそうしてあげる関係値ではないわけである。ましてや、こちとら年下、相手はわたしよりも稼いでいるいい大人だ。
それを、図々しく「あれはやだ、これがやだ」と言えるのって、とんでもねえ神経だなと思わずにはいられない。罪悪感がまったくないのがある意味すさまじい。
とことん悪い口を働かせるなら、舐めんな、と。そんなことを思うわけである。
この話、最終的には「一番おいしそうだったし、最初に探してくれた築地のお店にしましょう? わたしのほうで予約もしておくんで」というわたしの一声によりなんとか終着したのだが、このあと日程を決めるのににも、実は一苦労している。
日程を勘違いしたのはこちらも悪いとして、先の予定までざっと聞いて巻き戻すコミュニケーション。わたしには信じられないし意味がわからないわけであるしで、このときめちゃくちゃにキレていた。
こういうコミュニケーションって、どうして起きるのか。理由は単純で、彼の見ている世界が「向こう視点」すぎるのである。彼の考えが「正」で、それ以外の価値観や思考が「あることにすら気づいていない」というのがこの状況。
一方、わたしを含め、このやりとりにザラザラしてくれた同志のみなさまは、相手の立場にも立ちつついろいろと画策する。「気を悪くさせていないか」だなんてのはもちろん、こういう場合であれば周辺の予定やら、彼の仕事の繁忙期とか、移動距離とか、まあいろいろと考える。
だから視点がズレるし、折り合わない。思考量の多いほうが、明らかに損をするから。わがままって最大級のラクなのだ。
さて、世の中的には、折の合わない人からは距離を取るのが正しいし、ノンストレスを求めるならばそうするべきだとわたしも思う。ただ、彼はなにが悪いのか、なにがわたしの気持ちを逆なでしているのか、知らないのだ。
人生の中で柔らかい感情と出会う機会の少なかった人、たとえば体育会系出身とかだと、結構こういう人はいる。その状況において、「コミュニケーションが合わないから」と、距離を取るのは、フェアじゃないとわたしは思う。
だから、わたしは本人になるべく伝えている。
「あれこれと文句ばかり言いなさんな」「ごちそうされる側がとやかく言うもんじゃない」「人に金出させるなら予算くらい見ておいてくれ、破産する」と。言わないとわからないので、フランクなテンションで上記の話をした。
すると、ある程度は理解してもらえたりする。骨は折れる話なんだけれど、世の中には「話の通じない善人」みたいな人って多かれ少なかれいるものだから。
人間的にクズでない限り、話の通じない善人と仲良くしたいので、こういう地道な営みを通して、毎度消耗する日々を送っているのである。今回も、ある程度は頑張ったよわたし。おつかれさま。