昨日、一昨日から引っ張っている例の件でひどく気分が落ちているし、なんなら気持ちの面からくる体調不良がすさまじい。表面的に元気な人を取り繕っているが早くも限界が近い。
昨日の夕方、例の件で祖父の入院する病院を訪れた。お見舞いという体ではあるものの、冷静ではない祖母と母の連れ添いで、お医者さんの話をしっかりと聞く人として来てほしいという家族のオーダーもあったので、しっかり者のお孫さんを演じる必要があった。
母はよく言っている。「あんなばあちゃんの状態見ていたら、わたしがしっかりしなくちゃって思わずにいられないんだよ」と。その気持ちは、痛いほどによくわかる。いくらなんでもと思うほどに明後日のほうばかり向いており、話をしても右から左に流してしまう祖母の様子をみていると、周りはしっかりせずにはいられない。
そんな祖母をずっと守り続けている母もいよいよ限界で、最近やっと服用をやめられていたはずの向精神薬を再服用せずには暮らせなくなってきた。「めまいがひどい」と吐露している。彼女がめまいを引き起こすときは、だいたいが自身のキャパを超えた精神的負担を背負ったときなのだ。
さて、そんな母を支える役回りは、ほかでもないわたしが担うことになる。彼女の気持ちを察さずとも理解できる感覚を持っていること、物理的な距離が近いことがその理由だ。合理的にも感情的にも正しい選択だと思ったから、自ら選んで母と祖母を支えると決めた。
口をひらけば支離滅裂な祖母の発言に「うんうん」と受け止める方面の相槌を打ち、現実を見ようとしない祖母へのイライラを消化できない様子の母を食事に誘い出し、たらふく話を聞いてストレス発散をしてもらう。東京と仙台とで離れて暮らしているため情報共有がうまくできず冷戦状態に陥った両親の仲を取り持つため、父への連絡も行なった。
そうして今日、思った。わたしはじゃあいったい誰に弱音を吐いてもいいんだろう。溜まりつつあるストレスと不安と心細さをどうやって解消したらいいんだろう。
そんなことを考えたが最後、涙が止まらなくなった。部屋でひとり、ただただ泣きまくった。頼れる人が近くにいないのだから、もはや泣くしか解消方法がないのだ。こまった。一度泣き出したら止まらない。ネガティブなかっぱえびせんのできあがりだ。
今日は日が暮れるまで泣き続けた。引くほど泣いて、落ち着くために、自宅にあった烏龍茶をたっぷりのお湯で煮出してホコホコのお茶をつくった。飲んでいたら多少なりとも落ち着いた。
さて、そんなことをしながら重たいからだを引きずり生きた今日。そろそろお風呂に入りたいと思いはじめた21時17分に母から電話。「もうそろそろダメみたい。今すぐ病院に来て」とのこと。たまたまコーヒーを買うべく駅に来ていたので、そのまますぐに電車に飛び乗る。
今、病院に向かっている。せめて最期の別れに立ち会えますように。